2023年10月26日木曜日

『Bike in the sky』#359 楽しいけど「乗るな!」って言うてる?

先ずは先週のブログで訂正がある

それは下記画像でBMW320に纏わるバブル期の話題を上げた

その際、文中に「当時『渋谷のカローラ』いや『表参道のカローラ』だったか!?」と書いた

「・・・だったか!?」と自身も記憶が曖昧だったので、そう記したが、これを見逃さなかった月ケ瀬信者がいた

それは先週末の月ヶ瀬早朝に行った時の出来事だ

月ケ瀬お茶屋に着き缶コーヒーを買い、程なくしてお茶屋前ベンチに腰を下ろした時だった

数分の雑談を信者ライダー達と「老化」について語り合っていた

その中で信者の一人が何気に

「タツミさん、毎週毎週ブログを上げるの大変でしょ!?」

さらに

「それも長文で・・・」

対して自身は

「う~ん・・・けど老化防止の為にやってる事やからそうでもないけど・・・」と返した

すると横から

「アッ!思い出した!」

月ケ瀬組合長様が突然声をあげた

「先週のブログのBMW、あれって『六本木のカローラ』ですやん!」

と、したり顔で言ってきた

聞いた瞬間

「そうそう!六本木!六本木!・・・スッとしたわ!」

と、自身は返したが、このスッとした感はマジでスッとしたからだ

先週ブログ執筆中「BMWの320は東京で、なんとかのカローラって言われとったけど・・・え~っと、どこやったかなぁ~」だったからだ

そこで、とりあえず渋谷とか表参道とした訳だが、よくよく考えれば「ポンギの六本木」が出てこないといけなかった

だが、その六本木が出てこなかったこそが、やはり老化現象を疑う余地はない

そして、このまま年寄り扱いをされるのも確かに慣れてきたが、自身は月ヶ瀬での最近の話題の流れが気になった

それをその場にいた信者ライダー達に言った

「けど月ヶ瀬の話題は一年前と最近とでは明らかに変わってきたなぁ~」

「特に老化現象や年金の話しが増えてるよなぁ~」と

すると瞬間は一同「・・・・・・」だった

皆、自覚していた

その老化では当日、自身はさらに月ヶ瀬の別の猛者達からも突っ込まれていた

画像は撮り忘れたが・・・

当日は、ひと月振りにW1で出向いた

上述の六本木カローラ談議の熱が冷めやらぬ刹那

4,5人のメンバーから、またツッコミが入った

「ジィさん、ジィさん、フロントのカウルステーが折れかかって、カウルが歪んでるで!」

見ると、正面から明らかに右に10mmほどズレていた

「う~ん・・・」

ここはどうやって笑いで凌ぐか

だが自身には笑いのセンスは持ち合せていない

残された武器はマジでボケるしかない

そのままのボケが自然体で凌げるということだ

早速、ガレージに戻ってカウルの付け直し

ステーは「折れかかっている」と聞いたままを鵜呑みにしたが、歪んだ原因はステーを取付けているボルトの緩みだった

それを締め直して問題は解決した

まだボケ症状は進んでいなかった
元どうりになったフロントカウルだ

でも月ヶ瀬ライダーは自身のバイクを、いい意味でチェックをしてくれる

おかげで大事に至ることも無く・・・うん?

いや大事に至ったこともあったぞ!

2月に転倒したCB77のフロントタイヤだ!

当時のフロントタイヤの山は、それなりに残っていたが山と山の谷間に細かい亀裂があったのを事故後に聞いた

山が残っていても経年で亀裂が入るほど硬くなっていたということだ

これは「人任せにせず自身で確認しろ!」との教訓としている

なんと殊勝な老人だろうか!?

話題を三話目に進める

先週のブログでは自身の孫の「ちょっと自慢」を上げた

それが今週は「親子ライダー」の話題もある
アヒルの親子ではないが、フロントデッキには旬のアヒル隊長のマスコットも鎮座

このバイクは月ヶ瀬暴れん坊の子息のバイクだ
荷台、BOXのバックには何故か「Buell」のステッカー

このBuellで親は特定できる

今、ハンターカブと並んで人気のクロスカブにBuellステッカーだ
月ケ瀬にはBuell乗りは5人ほどいるが・・・

そう!月ヶ瀬の暴れん坊!
Ishi〇さん親子

左がオヤジで右のクロスカブに映る好青年が息子さんだ

当日は親子で奈良の山奥を息子さんと初ツーリングとのこと

そのスタート地が月ヶ瀬からということで寄られた

こんな様子は自身も三重支局長がまだ高校生だった頃、よくツーリングには出かけた

また長女も今や死語のOL時代「旧車に乗りたい」と言い出しCL77を購入した
CLの前にYAMAHAの原付スポーツ車、YB50だったか?で、練習した経緯がある

YBからいきなりクラッチの重い、硬いのCL77に乗るとは恐れいったがけっこう楽しそうに乗っていた

当時の巷で長女は他のライダーに「ねぇちゃん、このCLによう乗ってんなぁ~」と言われて喜んでいた

親子でのバイクツーリングは父親にとってはある意味、幸せの証のようにもとれる

その時間は親にとっても子にとっても良い思い出になるだろう

そして得意の長文で四話目に続く

「かかったぜ!走れたぜ!」なのだ
先週は「さぁ~て、磨きで火花が飛ぶのかぁ~」

と、点火系のポイント研磨での修復作業で終わった

研磨後、早速エンジンに取付、組立、キックを踏む

数回のキックでパラパラパラっと甲高い排気音で目覚めた

今回のセルペットでの教訓は考え過ぎて遠回りしたことにある

それは滅多に不良を起こさないプラグキャップ→IGコード→IGコイルの順で疑ったことが、そもそもの遠回りなのだ

一般的な原則通り?に着手していれば、これほどの遠回りにならなかっただろう

そして目視で点火時期を合わせたが念の為、タイミングライトでチェック
フライホイルとエンジンハウジングとの合いマークは、ほぼほぼ合っていた

「よ~し、完成だ!」

だが、まだ本調子でないバイクがあるのだ

これが、なかなか厄介者で前出のIshi〇氏にもT-PADDOCK630に遊びに来る都度、相談をしている

その質疑応答でも「う~ん・・・」なのだ

そのバイクはCB77!

「お天とさんが乗るなって言うてんの!?」かな・・・

T-PADDOCK630 T/Tatsumi

2023年10月19日木曜日

『Bike in the sky』#358 戦争反対!と言いながらM30と戦争だ!

嫌な時代になったもんだ

ロシアのウクライナ侵攻で世界に衝撃を与えたが、その最中に今度はイスラエルなどの中東エリアでも民間人が2000人以上亡くなる紛争が起きている

まさに第3次世界大戦に繋がる嫌なムードを感じる

極東の日本に住まう自身が嘆いても、どうにもならないが・・・

だが、こんな戦いではホッとする

いや!歓喜すると言った方が似合うニュースも飛び込んできた

それは先週の、とあるバイクレースで孫のタイチがまたもや表彰台に上がっていた

左のゼッケン♯60が孫のタイチだ

MFJ中部モトクロス選手権の最終戦、いなべ大会での様子だ

まずCX-Aクラスはタイチのシリーズチャンピオンがかかったレース
結果は念願のシリーズチャンピオンに昇りつめ、表彰台でピースサインをしていた

そしてキッズ65クラスのヒート1では転倒もあって5位

続くヒート2ではスタートダッシュも良くトップに食らいつく展開

そのトップのマシントラブルの瞬間を逃さずトップに踊り出たが途中の転倒にも気を抜くこともなくトップでゴールのヒート優勝を勝ち取っていた
その勝利を近所のお百姓さん?ではなくタイチの父親であるT-PADDOCK630三重支局長と祝っている

またタイチのレースを共に戦ったマシン
このマシンは3年前に中古で購入したSUZUKIのDR-Z

製造年は13年前と古いマシンだが三重支局長が手を入れ戦闘力を高めて今回の優勝へと導いた

親子の絆で戦ったマシンだが、こんな戦いだったら「世界も平和になれるのに・・・」と願わずにはいられない

「タイチよ!感動をありがとう!」

その感動でネットにあがっていた「おっ!欲しい!」というクルマを見つけた
一瞬「BMWから復刻版が出たのか」と思ったぐらい、完成度が高い

特にフロントグリル下の処理やボディカラーも雰囲気が満点だ

35年ぐらい前のバブル期全盛の頃だろうか!?

当時、東京では「渋谷のカローラ」いや「表参道のカローラ」だったか!?

そんな風にBMW320が揶揄された時代があった
上の画像は雑誌から拝借したものだが、それほどBMW320が、その時代の超売れ筋だった

そしてフロントグリルはキドニーグリルと言われた320だが320は、またの名を「ナンパカー」との汚名?も授かっていた

そんな時代のBMW320からキドニーグリルを模してカスタムしたスズキのラパン?

こうしたカスタムカーも今や珍しくなく、特に関東方面では専門のカスタムビルダーがいる

だが欲しいと思ってもお値段が・・・

なかなかなのだ

今時の国産でも今や400万、500万は当たり前の時代だ

軽四でも200万時代だ

だと思えば自身は、上のBMアルトに乗りたい

そこには今の日本では個性的な乗り物が少なくなっている背景もあるのだろう

と、嘆いているがT-PADDOCK630には個性的なバイクで手こずっている

久々の登場だ
このバイクもSUZUKI製だ

1963年だったかSUZUKIのM30という原付

この夏の8月からM30は記事にしていない

そこには他方からも、いろいろご教示を頂きながらエンジンの復活にチャレンジしているが大苦戦のままだったからだ
やっとCBも目処が立ってきたので、M30をいつまでも放っておけない

そんな訳でM30の復活に掛かり出した

8月時点ではプラグキャップ、同コード、そしてコイルと何度もチェックをかけてきたが一先ずは生きている

となると次はポイントかコンデンサー等々になる

これが言葉にするほど簡単ではない

それは予てより記事にしていたエンジン脱着作業の難度なのだ

そこで今回は横着をして脱着せず、エンジンを外したまま原因を探る作業に切り替えた

上の画像の様にエンジンをフレームから下ろした状態でアースも考慮して配線をすればプラグの火花確認は可能なはず

まずフライホイルを外す

そしてコンデンサーの機能確認
コンデンサーの機能チェックに自身は知識がなく、聞いたところでは不良の場合、コンデンサーの底部が膨らむとのこと

そこで電装裏を確認する
裏側から見る限り金色のコンデンサーの底部は膨らんでいる様子はない

続いてポイント接点の研磨
目視で見る限り接触する両面ともガタガタの状態だった

「さぁ~て、磨きで火花が飛ぶのかぁ~」

T-PADDOCK630は、またもや戦渦に突入だ!

だが、こんな戦ならばいつまでも平和を感じることができてwelcomeなのだが・・・

マジの戦争や紛争は絶対反対だ!

T-PADDOCK630 T/Tatsumi

2023年10月12日木曜日

『Bike in the sky』#357 古きを訪ね、新しきを知・・・らない?

先週末から、いきなり寒波が来たような気候になった

ただ自身には、この気候の空気感は少々嫌なムードを感じさせる

それは今年2月末、自身に降りかかったCB77の自爆転倒の惨劇と同じ空気感に似通っている

よって先週の月ヶ瀬詣ではCBで詣でたが、ほどほどにして帰還した

そして、そのCBの手直しや調整は、いよいよファイナルに近づきつつある

今回はハンドル周りを新品にした

画像の一文字ハンドルは転倒した時と同じ幅の550mmサイズだ

修復時はガレージの在り物の650mmサイズをとりあえず使っていたが、幅が広すぎてCBには似合わない感があった

だがCBのエンジンも徐々に調子が上がってきたことから「ハンドルも、ここは新品で・・・」と相なった

ついでにハンドルグリップも、おニューに!

画像を少し引いて全体のバランス・・・
CBには、やはりこのタイトなバランスが似合う

また気候の話になるが、ガレージ内は今夏も扇風機を使っていた

当T-PADDOCK630ガレージは夏場でも、よほど気温が上がらない限りクーラーの出番はない

今、クーラーと記したが、けっしてエアコンではない
T-PADDOCK630は旧車の殿堂?と標榜してバイク屋ごっこを始めたのが2015年の年明け

だが、ガレージそのものは2005年の7月に今の家付き?ガレージとして、工場跡を改装して奈良の生駒から越してきた

その時に以前から使っていたクーラーを取付けたのだ

このクーラーは生駒に住まう以前の1982年、自身が大阪本町でアパレルメーカーを起業した時、通勤が大変なことから市内の賃貸マンションに住んでいた

その時に購入したもので当時はエアコンというのは、まだまだ普及していなかった

そのクーラーが未だ元気?に動くことから現在に至っている

自身は、どんなモノでもよほどの故障がない限り、またその器具が生きている限り廃棄するのは忍びない

で、先の「がレージ内は扇風機を使っている」と書いたが、その扇風機も・・・

先ず家用の扇風機から
昭和の30年代後半と思われる松下製の扇風機

このプレートだけでも今やレアものだ
「NATIONAL ELECTRIC  FAN」と、当時の松下はブランド化に懸命な時代で「ナショナル」を前面に押し出していた

思い出すのは当時、子供向けのテレビ番組でも「ナショナルキッド」というウルトラマンのようなヒーロー番組があったほどだ

この扇風機は我が家では夏場にバスルームから上がった時、洗面台で身体を冷やすのに重宝している

だがガレージでは、さらに古い扇風機を現役で使っている
昭和30年代前半と思われる三菱製

少し前では「白物家電」という言葉が家電業界にあった

昭和の30年代初期は白物が出始めた頃で、まだまだ「黒物家電」と、言ったかどうか定かではないが自身が記憶する限り扇風機は黒物が多かったように思う
エンブレム?と言えるのか、このプレートは銅板の型押し加工物なのか、非常に手が込んでいる

今時の家電のインフォ類は全て貼り付けのシールで何とも無味乾燥なモノだ
首を振る構造もクランク状のリンクで左右に振らせているところが味わい深い

それを
先のナショナルの扇風機と一緒に掃除をし、また給油もして来夏まで冬眠させる作業だ

だが古い扇風機は他にも、まだあった
我が家の3階部分にある自称「バーベキューホール」とした宴会場?の左上角に・・・

そこに
先出の三菱製と同年代と思われる扇風機

前面ガード真中のマークと、そのガードと共に当時としては「ハイカラ」なデザインがされており、先の2社より感性を感じる

製造社プレートを見ると
「Shibaura Engineering Works」とある

この芝浦製の扇風機は現在、不動だが造った会社も今や不動寸前の現、東芝だ

皮肉な縁だが、なぜ我が家に3台もの古い扇風機があるのか

それは自身の父親が「新しいもの好き」で、とかく世に新しいモノが出ると購入していたように記憶している

ただ父親は新しいもの好きだったが、けっして「とっかえひっかえ」的ではなく、モノは大切に手入れもして長く使っていたのを覚えている

そんな事で自身も遺伝なのかクルマ、バイクを問わずモノは大切に残している

長きの年月を乗り続けている中ではベックの連続35年もあるが自身にとって関りも含めて申せば筆頭はW1だろう

その初めて乗ったW1は1970年頃、中古で高校2年からの数年を過ごした
当時、大型バイクで流行った「貫禄仕様」のままのW1を買ったが、その後にイージーライダーブームで、このスタイルも変化していく

そして数年が経ち、起業間もない頃の若干のブランクもあったが(メグロを経た)W1の手本とされたBSAロケットゴールドスターにも乗った
(今から34年前、自社の商談室に飾っていた頃のBSA650/Rocket Gold Star)
そんな時期も挟んで別体ミッションを持つバイクとは縁が切れていない

その関りは通算で53年もの歳月を過ごしている

その次に古いと言えば、一昨年に売れてしまったが2代目モンキーのZ50A/Zも約50年を過ごした

こんな事が良いのか悪いのか、よくわからない癖なのか、その性分は未だに続いている

周りからは「もう買い換えたら?」や「もう捨てたら?」とか言われた事もあった

だが買い替えもしないし、捨てるなんて滅相もないことだ

例えば今でも
前述にあった2月末の転倒時にハめていた電熱ヒーター付の防寒グローブ

このグローブが転倒で親指の根元辺りが大きく裂け、中綿が丸出しになっていた

暫くは放っておいたが、最近の冷え込みで念の為、上の画像の様にグローブの電池を充電し、その後スイッチを入れ暖かくなるか確認してみた

すると瞬く間にグローブ内はホワ~っと暖かくなってきた

「お~、生きとるがなぁ~」だったが・・・

暫くすると親指の付け根辺りの温もりが微妙に低いように感じた

「う~ん、どうする?」と、その事を家人に伝えると

「も~!ボロボロやねんから買い換えたら?」と言ってきた

「そっか!」と思いつつ・・・

「うん?待てよ!『買い換えたら・・・』って、バイク乗る許可?下りたんかな?」

と、余計なことは言わず、その場は誤魔化した

だが、先ほどのモノを大事に長く使う「良くも悪しきも」の癖?性分?が出て、結局はグローブの破れたところを縫って修復してしまった

この性分は死なないと治らんだろう

と思った矢先、またまた過失では済まされないハプニングがあった

それはT-PADDOCK630では現行車扱いのKawasaki KLシェルパに危うい事があった
先週のCBを乗り出した月ヶ瀬まで、明くる日はKLシェルパで行ってきた

毎回々々、旧車では疲れるので中休みレベルで、たまにKLシェルパで行くことがある

だがKLシェルパは「いつでもどこでも感覚」で気楽に乗っている

ところがだ!

月ケ瀬から戻って何気に上画像のKLシェルパのエンジン右サイド下にある、オイル量を示す覗き窓を見た

見た当初は円形の覗き窓には「オイルが満タン入っている状態」かと勘違いするほど油面が見えなかった

よくよく見ると・・・

「え~、オイルが空かぁ~!?」と、大騒ぎ

早速、バイクの整備記録を確認

前回、オイルチェンジをしてから1年半、走行距離では約3000kmだった

丁度、替え時でオイルチェンジをすることにした

ビックリしたのはここからだ

エンジンを再度、温め直してからオイルの抜き取り作業にかかった

抜いている間の10~15分ほど、別の事をしていたが抜き終わったであろう廃油のトレイを見ると・・・

トレイに溜まっていたオイル量は0.2~0.3Lもあるかないかの超微量だった

思わず「あっぶねぇ~」と声が漏れた

ここは単にオイルを替えるだけでは済まされない

よって「タール状になっている残オイルがあるかも・・・」

で、久々のフラッシングオイルを使いクランクケース内の大掃除をかけた

しかし、月ヶ瀬までの往復100kmをここまでの微量でよく走れたもんだ

それもあるが全くと言っていいほどアイドルも安定し、加速も良く、異音も全く無かった

だが、2月末に転倒したCBのフロントタイヤの悪夢がよぎった

タイヤの場合の整備不良は命取りだが、オイルも同様に命取りになる

「もしエンジンが焼き付いてタイヤがロックしてたら・・・」と考えるだけでゾッとする冷や汗もんだ

別にオイルを長きに渡って大事に使おうとも思っていない

オイルもタイヤ同様、消耗品としてドキュメントにして管理しているつもりだった

だが過失では済まない

またもや老化の一端が垣間見え、そこに悪魔が微笑みかけていた事になる

今回も「あ~、いよいよかぁ~」の記事になってしまった

T-PADDOCK630 T/Tatsumi

2023年10月5日木曜日

『Bike in the sky』#356 「ちゃんちゃん!」なできごと

今週のブログネタは困らずにすむ

そこには毎々綴っているCB77がネタ元になっている

今回は以前より謎が解けていないエキパイとマフラーがノーマルに戻せないことにある

先ず戻せない主因は

ノーマルのエキパイとマフラーのジョイント部

この結合部がいわゆる、かしめた状態でカシメを破壊すれば分離はできる

だが破壊してまでノーマルに戻そうとは思わない

であれば分離せず一体のままエンジンの排気口にセットすれば済む話だが、そうもいかない
画像は現在、使用しているエキパイをパイプジョイント、俗にいうフランジでエンジンに取り付けている

そのフランジで先出のノーマルエキパイ&マフラーをエンジンに取り付ければ・・・

となるところだが、それがそう簡単でもなかった
この画像がノーマルエキパイで、エンジン側に装着する側だ

他方でもアドバイスを頂き「あ?そうかぁ~!」と、その時点では合点はしていたが・・・

その晩、就寝時に「う~ン…ハマるかぁ~」と考え出したら全く寝付けなかった

要はエキパイの入り口から現在使っている一枚上画像のフランジがハメられれば問題はない

だが翌朝、再度試みたがやはり根本的にエキパイ側とフランジの径が全く違いハメられなかった

そこで思い出したのが、とある工房
以前、針テラスに止まっていた1964,5年頃のHONDA CⅢ72?だったか

その超カスタム車

思わず「ウォ~、誰のバイク?」
エンジンとプレスフレーム、リム等以外はガスタンクに始まりシート、フェンダー、ステップ、ハンドル周り、ブレーキパネル等々々全て自作なのだ

このCⅢ72の作者に聞けば解決してくれるかもで昨日、行ってきた
このグリルを見れば旧車好きは、先の作者はどなたかと気が付くだろう

FBでも再三アップされているMG-TDのフロントグルリ、いや違ったグリルだ

そのMGをこの作者はご自分の手でフルレストアをされている

その工房とは

「久保田技術研究所」の代表 久保田憲司先生だ

この久保田先生とは、24,5年ぐらい前だろうか

自身がまだ生駒の、あすか野という住宅地にいた頃、先生もご近所に住まれていた

自身は、まだFITH社で現役の頃、毎週土日の休日に狭いガレージでW1やRT1等のレストア趣味で遊んでいた

その以前より先生は時折、自身のガレージ前を通りがかっておられたみたいだった

そんな時、突然、自身のガレージに遊びに来られた

その時は先生が、どこの誰とも知らずだったが瞬時に旧車談議で盛り上がった

その後、毎週のようにガレージに遊びに来られていたが、その時のことで最も記憶に残っていることがある

現在T-PADDOCK630三重支局長にあたる次男のインポート車、SUZUKI T20の逸話
(画像はT-PADDOCK630内で撮影)
静岡のフクイレーシングで製作依頼したワンオフのレーシングチャンバーをT20に装着した時だ

そのT20左チャンバーの膨張室にキックが干渉していた

レースで使用するならばキック無しでも問題ないが街乗りでは、どうしてもキックは必要

よってキックのシャフトを延伸するかキックアームを改造するか

いろいろ悩んだが、この時点ではガレージに大した設備もない

また自身の技術的にも理屈は理解できても腕が伴っていない

よってチャンバーの膨張室部分を若干、叩いて干渉を回避していた

その時だ

先生がガレージに遊びに来られた時、T20を見られて

「わぁ~、キレイなチャンバーやねぇ~」

そして反対側に回られた時!

「え~、もったいないなぁ~」とチャンバーの凹みに気がつかれた

そして「キックを改造したら良かったのに・・・」だった

そんな一幕から先生とは仲良くしていたが自身が東大阪に越してからはしばらくは疎遠になっていた

で、意を決してお電話を掛けさせてもらい今回の訪問となった

伺って超ビックリ
工房は〇〇屋敷か!?

と、見間違うほど足の踏み場もないほど、パーツや工具などが散乱状態で雑然とひしめき合っている

画像真ん中にはリモコンのヘリコプターも雑然とあった

先生も

「いや~、入ってもらってもひっくり返ってるから気ィつけてや!」だった

確かに、その通りなのだが先生はこの状態でも、どこに何があるかがほぼ完璧に把握されていたことだ

先生の脳ミソは完璧な理系脳と読み取れた

そこで自身が食いついた画像だけを先生の了解の下、お見せしよう
後期型のGPキャブを装備された本物のRC250レーサー

そのRCのハンドル周り

左右のレバー根元がグリップ径より細い径にハメ込まれるレーサー専用仕様

次はモンキーZ50M
と、思いきや「こいつは偽もんやねん」と

だが、どこが偽もんかが分からん

つづいて
自作のロータリーエンジン

と簡単に紹介しているがブロックも、おむすび状のローターも全て自作だ

実際にエンジンはかかるらしいがアペックスシール(ローター3か所の山状になる先端部)から圧縮漏れが発覚したとか

これはロータリーエンジンを実用化したマツダもアペックスシールには手を焼いたことは有名だ

ラジコンカーのオモチャ?

もう一つ
メチャクチャ速いらしい

次は博士の領域
人型ロボット

なんかのコンテストだったか、ちゃんと動いたらしいが凡人では計りかねる領域だ

身近なエンジンだが
お手製と言えどもDOHC4バルブで、ちゃんとかかるらしい

シリンダーもクランクケースも鋳型にアルミを流し込んで造られた自作エンジンだ

これは確か、何かのコンテストに出品されエンジンについて会場で審査員をされていた?本田宗一郎さんとも議論されたとか

時代はクルマの排ガス問題真っ盛りの時期

そこで本田さんから「なんで4バルなのか?」と問われたらしい

話す相手もだが討論の内容も凡人ではあり得ない出来事だ

次はちょっとホッとする創作物

先生も笑いながら楽しそうに出された逸品?
溶接時に光から目を守る遮光マスク

これなら自身も作れそうだ

40年以上前と言われたと思うが
足漕ぎだったか、人力ボートかカヌー

これらもファイバーだったか、全て自作

画像を撮り忘れたが足漕ぎ動力のエンドにあるプロペラ状の直径300mm弱のスクリューもアルミの削り出し風で自作だ

とにかく興味を持たれたモノは、すぐ実行に移して自作してしまう

その瞬間では思いついたアイデアをすぐ書きだして案を練るようなタイプだ

よって思いついた瞬間、そこかしこに書き留めておられる
パッキンケースに書かれた落書き状のラフ図面

とにかく凡人では、その範疇には入れない世界を見せてもらった

だが自身から先生に苦言を呈しておいた

それは95%、いや99%まで仕上がっているのに、なぜそこで作業が止まるのか

「最後まで仕上げましょうよ!」と・・・

さらに続けて

「昔から諺にもありますやん!『画竜点睛を欠く』」って・・・」

先生は笑っておられた

そして先生の講義?

いや旧車道?か?

もっとも談議で時間を割いたのがMGだった

ほとんど色についての先生のこだわりが聞けた
エンジンにもメカは当然としてパーツの鉄部の素材感を活かす色やエンジンブロックの色も赤なのだが微妙な配合でワインカラーにも見える色合いなど

また電源でも

この時代のMGはプラスアースだそうで・・・

「なんでプラスやねん!」

と言われて現行のマイナスアースに戻され、ではなく進化させられていた

だが・・・
これは自身も共感を持った

フロントグリル、ラジエター上部にある運転席から眺めたマスコットの裏側

現状の一般的なクルマでは運転席にあるインジケーターの水温計だがマスコットの裏側、すなわち運転者が見える位置に寒暖計が如く配置されていたのだ

これは最も自身が食いついた装備かもしれない

と、楽しい乗り物談議を約3時間にも及ぶ長丁場で過ごせた

また是非、遊びにお邪魔したい

で、肝心のCB、フランジの件はエキパイ・マフラーを持参して確認してもらったが半非分解で、同様に持ち込んだフランジでは装着不可となった

そこで代替品としてCLのフランジが合うのではとご教示いただいた

それでも手当できなけらば「造ったげるよ!」と言っていただいた

早速、戻ってオークションを調べたが意外と出品は少なかった

だが殿に先生がいると思えば気分はグッと軽くなった

T-PADDOCK630 T/Tatsumi