2023年6月29日木曜日

『Bike in the sky』#342 名車って・・・

月ケ瀬に、かっての、あの名車がやってきた

それは先週、日曜の月ヶ瀬 

当日の月ヶ瀬は天候も良く、多くのライダーが早朝から集まっていた

そんな中にいた名車とは
これだ!

いや!ちがう!

このベスパはBuell乗りのIsh〇さんが東大阪から生駒山越えの難関、阪奈道路を越え、片道約50Kmの道のりを経てやってきた

それだけでも十分凄い事だ

そして、たしかにベスパも名車だが・・・

本命の名車はこれだ!
1980年前後だろうか、650㏄のFIAT126?だったかな

う~ん、これも名車には違いないが・・・

その冒頭の名車は、何をもって名車と言われるのか

自身は、やはりそのクルマの「背景にあるストーリー」のワクワク度にあると思っている

だが、このFIATにもそれなりのストーリーはある
空冷2気筒のコンパクトカー

2気筒なのにデストリビューターもあるではないか

そして
ホイルをドラムに組み付ける4本のボルト位置が日本車より円周の大きい外側に配されているのがイタリアっぽい

だが日本的情緒なところも・・・
ルーフは解放式だが日差しを遮るために日本風のスダレを「遊び心」でチョイス

自身は絶対やらないが・・・

このオーナーさんは月ケ瀬では、ちょこちょこお見かけしていたが今回初めてお話をさせていただいた

奈良市内だったか、近場からのお越しで、このFIATは購入されて「まだ1年半ぐらい」とか仰っていた

で、肝心のストーリのある名車だが・・・

名車と言うより名機と表現した方が、しっくりくる

また自身は、この車種に関して「好きな世代感」から捉えれば、ひと世代あとになる

自身の、ど真ん中の世代は1965年から1970年を中心にその前後と予てより述べている

だが、ひと世代あとでも、この名機が登場した時・・・

「お~、やるやん!」が、先ず第一声

それもそのはず、レースに勝つ為に生まれてきた宿命を背負っていたのだ

その名車とは

ニッサンのGT-R 32型だ

何が凄いって、当時の「ツーリングカーレースのグループA」で勝利するために開発された経緯がある

そのレースの詳細はカットするが、R32はこのクラスでデビューからシリーズを連戦連勝

結局、勝ち過ぎてライバルもいなくなり、このシリーズを消滅に追い込んだという逸話が残っている

そんなクルマの市販版が、このR32なのだ

市販版といってもノーマル車のセダンが当時で300馬力に近いパワーとトルクを誇っていた

このスペックでは世界のこのクラスで同じく当時は「敵なし」と言われたほどだ

そのR32の心臓部を見てみよう
R32のウンチクを分かったように語っているが、実はエンジンを見るのは初めてのような気がする

プリンス時代のスカイライン54Bや初代RのPGC10など、それらのエンジンはけっこう昔から見ていたが、R32はやはり記憶がない(アルツの症状か?)

R32は発売されて、すでに30年ほど経っている

この時代辺りから上画像のエンジンルームの様に他社のクルマも同様、サンデーメカニックでは手が出し難い「ギュッと」詰め込んだ仕様になる

上の画像のエンジンヘッドカバー前方に「RB26」とある

これは直列6気筒、2.6L、ガソリン・ツインターボのエンジンだと言う証だ

このR32の所有者は前回もご登場いただいた「FZバカ」さんことAsa〇さんだ

Asa〇さんいわく、このR32の個体は、ほぼフルノーマルという

おまけに、年に4回ほどしか乗らないらしい

う~ん、なんとも、もったいないではないか

だが、たまにしか乗らないから快感も感動も当時のままを満喫できるのかもしれない

いいモノを見せてもらった

いいモノと言えばT-PADDOCK630でも、いい事があった

それはT-PADDOCK630三重支局長の長男、タイチが先日「KIDS CROSS」に出走した
スタート前の様子だが・・・

「完走できるよう・・・」にと祈っているのか

結局、この日のレースは2位で終わったらしい

だが、そのあと・・・
集計の結果?・・・か?・・・どうかは知らんけど・・・

なんと年間チャンピオンの座を射止めた

自身の孫が、ここまでやりおるとは・・・

ジィジは公道で転けて肋骨折ってんのに・・・

世代でこれだけの差がつくとは・・・

表彰後は
一年間を無事に走り切り、チャンピオンの座に就いた余韻に浸っているのか・・・

後姿に男のロマンが・・・

って、それはない!

やはり、そこはまだまだ子供だ
タイチのお姉ちゃんとカキ氷で祝杯だ

だが、オフロードであってもレースは危険が伴う

ジィジは、タイチが大きなケガをしないか、それが心配だ

だがジィジ、いやジジィには心配なことは他にもある

T-PADDOCK630のスーパー3輪車、Vespa Carだ

かなてより前後輪のブレーキの効きがおかしい

フロントは効いてるような効いてないような制動性

リアの左はカックン状態で右は・・・

てな感じで、CBでの転倒のこともあり前後のブレーキシューを換えたいと思っていた

そんな話をT-PADDOCK630に遊びに来た冒頭ベスパのIsh〇氏に相談した

と言うのもIsh〇氏は市内のVespaショップに行く用事があると言う

ならばVespa Car用のブレーキシュー取り寄せできるか聞いてもらった

結果、フロントのシューは取り寄せられた

リアは現在、取り寄せできるか確認中となった

で、そのフロントを早速、交換作業・・・
先ず、フロントタイヤを外す

ドラム内は比較的綺麗な状態だ

Vespa Carの、この作業にはクルマ用のガレージジャッキが重宝する

と言うよりガレージジャッキ必須と言っていいだろう
新旧のシューだ

新旧のシューの厚みを比べると旧は新より40%ぐらい摩耗している

だが年数からか、経年劣化で効きが「今二つ」ぐらいだった

一先ず交換作業に入るが・・・
開けてビックリ

パーツ数は少ないが内部はグリスまみれでベトベトな状態

なぜ、こんなにグリスを「カップにジャム」状態のようにたっぷり、盛っているのか

謎だ

で、綺麗に清掃後、新たなグリスを必要と思われる箇所に塗付し組んでみる
なんでも、さらはエエねぇ~

そして近所を軽く走ってみた

ゆっくり走り、フロントだけの制動を試みる

「お~!」

なんと・・・

「効きは前のシューとあんまりかわらんなぁ」

だった!

T-PADDOCK630 T/Tatsumi

2023年6月22日木曜日

『Bike in the sky』#341 CB77 復活戦 Part2

月ケ瀬に、またもや新たなブームの到来か

そのブームの主が
USAのBuell、ビューエルなのだ

そのビューエル社は月ヶ瀬のビューエル・ブームを聞きつけ?米国において2024年までに10モデルを発売するとした

ただ、独善だが10モデルが月ケ瀬ブーム?のようなモデルになっているかどうか、スタイルが気になるところだ

上の画像の左のビューエルに跨っているのがMiy〇さん

その右は月ヶ瀬では言わずと知れたビューエル病に侵されたIsh〇さんの青い稲妻ビューエルだ

Miy〇さんは別にアカメタのビューエルをもう一台お持ちだ
少々古い画像だが・・・はて?Miy〇さんのビューエルで合っているのか?

そして当日のIsh〇さん
上画像のツナギを着て親指を立て、OKサインを出しているが、実は自身と同じ病み上がりで少々、ツナギが苦しいらしい

だが月ヶ瀬のライダー達の多くは、病み上がりでも「バイクに乗れば楽しい」と発するのだ

病み上がりと言っても月ヶ瀬ライダーの多くは「骨系の損傷」絡みなのだが・・・

そして今回「ビューエルがブーム」と増殖風に記しているが、もう一台
数年前、Ish〇さん、Miy〇さんにビューエル病をうつされたHig〇さん

Hig〇さんはDucatiなど、いろいろ乗ってこられたようだが今はビューエルに落ち着かれている

たぶん、ビューエルがそれだけ飽きないバイクということなのだろう

自身も、以前から「ビューエルはおもしろそう、楽しそう」と思っていた矢先
なんと月ヶ瀬教の教祖様が、お買い上げになった

上の右側のビューエルが、それなのだが色までIsh〇さんと同じカラーリング

だが、ここから教祖カラーに染めるには相当な時間が必要となるだろう

そもそも教祖カラーとは?どんな色?なのだが・・・

さらに別の宗派のShin〇さんも、お坊さんのようでお坊さんではないが茶系×ゴールド系だったか?ビューエルをお持ちなのだ

よって、トータル6台?も同車種を月ケ瀬ライダーが保有しているとは驚きだ

そんな月ケ瀬には多種の独特なバイクムーブメントが流れているが、そんな流れに一切感化されない御仁もいる
画像、YAMAHAの名機FZを囲んで中央に写るツナギの「バカさん」ことAsa〇さん

またの名を「FZバカ」と呼ばれているそうだが「FZに造詣が深い」とかだけでなく、乗り物のメカそのものにプロ顔負けの「知識と技術」をお持ちなのだ

自身は「なんちゃってバイク屋ごっこ」で老後を楽しんでいるが修理で、どうにもならない時は前出のIsh〇さんと同等に、このAsa〇さんにもアドバイスを頂いている

その辺のバイク屋以上に「とにかくよく知っている」
バカさんは、こんなヤンチャな2ストレプリカにツナギで峠を未だに攻めている

「頼むから転んといてよ!」と願うばかりだ

で、その自身の「バイク屋ごっこ」は・・・

先週から掛かり出したCB77の復活戦だ
先ず、ストックしていたパーツを引っ張り出して・・・

さらにパーツキャビネットから・・・
なんの車種かが不明なグリップも出してみてと・・・

とにかく一先ずはマトモに走れるように損傷した箇所を修復していかなけばならない

先週では、ここまで修復できた
先ず最もダメージが大きかったフロント周り

長年の保管で塗装が、やや・・・

続いてハンドル周り
以前の一文字ハンドルより、少し広い目だ

先ほどのグリップからは・・・
左右対称となると、この二本しか揃わない

ゴム類のストックでは
どうしても無いのがメータークッションのゴム類だった

これはオークションでリプロ品を見つけた

また転倒時に右のブレーキレバーが折れてしまったが
これはT-PADDOCK630三重支局で瞬時に溶接をしてくれた

ここまでは、在り物ストックで相当賄えているが、どうしてもガソリンタンクは修理を待つしかない

ところがタンクの修理には半年ほどを待つことになっている

よって、ここはオリジナルのタンクで暫くは凌ぐ事とした
よって飾ってあったオリジナルのタンクの状態を確認するが内部は、やはり薄っすらとサビがまわっていた

ここは躊躇せず錆取り作業と内部のコーティングをかける

以前、何度か錆を取って乾燥後コーティングも兼ねる「花咲かG」という薬剤を使ったが効果は・・・

悪くはないが特別に称賛とまではなかった

このタンク内のリペア作業は簡単なようで素人には、なかなか曲者な作業なのだ

よって今回は錆取りとコーティングは別々の薬剤で挑んでみた

錆は取れて
メインのコーティング剤

アメリカ製なのだが、今や中国製の方が良いと言われるが・・・

使ってみた

意外とすんなり被膜が作れたが・・・
あとはガソリンを入れて、しばらくの時を待たないと成果は見えない

そしてタンクがノーマルになると当然、シートもオリジナルに戻さないとおかしい
これも30年近く、保存していたが程度は非常に良い

シート裏も
なんと!「赤スポ」ではないか!

赤いスポンジが画像の丸い穴から見えているではないか

この「赤スポ」を一躍、有名にしたのがCB750の砂型K0に使っていたことから「しわタンク」や「HM300のマフラー」「へそキー」などの希少パーツと並べられて「貴重品」とされた

いわゆる言葉は悪いが「オタク」のパーツに挙げられているのだ

だが、このCB77に「赤スポ」と言われても自身はピンと来ない

それよりも名車と言われる車体の各所に手入れがされていてエンジンもストレスなく、しっかり上まで吹け上がってくれる事が最優先である

その方が格段に気持ちが良いと思うのだが・・・

そして自身のCB77で二番目にダメージが大きいフロントフェンダーだが・・・
さすがに、このストックはない

オークションでも程度の良いモノは、なかなか出品もない

では板金塗装の修理ができたとしても費用は4、5万、いやそれ以上になるかもだ

それ以前に激突で凹んだ箇所が「加工硬化」状態になっているフェンダーを修復してくれる業者を見つけねば!

まだまだCB77の復活は遠~いぞ~!

T-PADDOCK630 T/Tatsumi

2023年6月15日木曜日

『Bike in the sky』#340 再参戦!いや復活だ!

先日、HONDAが2026年からF1に再参戦すると発表した

この記事を読んだ時、得も言われぬ感動が自身の身体を駆け巡った

HONDAは過去にも再三「F1から撤退と復活」を繰返している

過去の撤退の理由は「業績に影響が・・・」とか、だったように記憶している

だが2020年の撤退は「次世代エンジンの研究開発に経営資源を投じたい」とした理由からだ

そして今回のは復活の理由がHONDAらしい

「HONDAらしい」と言うより「本田宗一郎らしい」の方が、しっくりくる

それは宗一郎さんが1946年に「本田技術研究所」を創業した

(本田技術研究所社員12人とその家族。後列右から3人目は後に本田技研2代目社長になる河島喜好氏)

その創業から10有余年が過ぎた頃、宗一郎さんは朝礼で社員を前に木製ミカン箱の台上に立ち・・・

「マン島TTレースに参戦するぞ!」と打った話はあまりにも有名だ

そこから、参戦させるバイクの研究を繰り返し・・・迎えた1959年

1周60km、高低差415m、コーナー数200以上の公道を閉鎖して行われるマン島を初挑戦の舞台として選んだ

ホンダチームはスポット参戦でエンジンにDOHC4バルブの125cc、RC142でチーム賞を獲得

(RC142でマン島を走る鈴木義一ホンダチーム主将の雄姿)

その後、ホンダはマン島で初優勝を飾るが、その優勝までの裏側ではマン島でホンダのバイクを観つ続けていたイタリアのバイクメーカーの開発者がいた

レース前の今で言うレセプション会場で、そのイタリア人のバイク開発者は宗一郎さんにアドバイスをした

「カネテヨリ、ホンダサンノドリームゴウ二、カンシンシテイマシタ。ホレコミマシタ。」

「デスカラ、オネガイガアリマス」

「ドリームゴウノ、ウンテンスルセンシュヲ、ワタシ二マカセテモラエマセンカ」

「スバラシイオートバイヲ、ウンテンスルニハ、スバラシイウンテンギジュツヲ、モッタセンシュガ、ヒツヨウデス」

「ワタシハ、ドリームゴウガ、ソノヨウナセンシュ、ニヨッテ、イカンナクハッキデキルスガタヲ、ミタイノデス」

このイタリア人の依頼に宗一郎さんには異存はなかった・・・らしい

そこには

「確かにこのイタリア人が言うように、いかに素晴らしい性能を持っているオートバイでも、その乗り手如何によって持てる力の半分も出しきれない」

そのことを宗一郎さんは、よく知っていたからだ

そして、その後、バイクレースの檜舞台であるマン島TTレースでホンダは初優勝を飾るのである

だが、そのレースを観戦していた宗一郎さんは最後までホンダのバイクが何位なのかも分からず、ただ海外勢と同等以上に走る姿に感動していた

そこに観戦中、我に返った時、誰かが宗一郎さんの手を強く握りしめていたのに気づいた

その手の主を見た

数日前に宗一郎さんを迎えたイタリア人だった

そのイタリア人も感動で身震いしながら宗一郎さんに

「アト、イッシュウデ、アト60キロデ、アナタノ、ドリームゴウガ、ユウショウデス」

「アナタノクニノ、アナタノオートバイガ、セカイイチノエイカンヲ、カチトルノデス」

宗一郎さんはイタリア人に言われてあらためて目を見開いた

「なんですって!わしのドリーム号が一着を走っているんですか!」

だがドリーム号の姿は宗一郎さんの目の届くところにはなく、森の向こうにいた

そして遠くに見えるゴール前・・・ドリーム号が現れた

大観衆がどよめいた

「二ホンノダ!・・・ドリームゴウダ!・・・二ホン!・・・ドリームゴウ!」

こんな歓声が宗一郎さんの耳に否応なしに入ってきた

その歓声が百雷の落ちるに似た声となって宗一郎さんの耳を襲った

宗一郎さんは自分を見失うような感動の中に落ち込んでいった

・・・・という本田宗一郎物語の一幕だ

そこには本田宗一郎の「飽くなき技術革新の使命」のようなモノを自身は好きだ

話を冒頭の「ホンダがF1再参戦」の続きに戻す

F1界は30年までにカーボンニュートラルを実現する目標を打ち出し、26年からパワーユニットの最高出力に占める電動モーターの割合を従来の20%から50%に高める

さらにカーボンニュートラル燃料を100%使うことも義務付けた

ホンダにとってF1はレース車の開発から得られる知識と経験を量販車に生かすための「走る実験室」だった

ここにもマン島に挑戦した時代の宗一郎イズムは脈々と引き継がれている

そして、そのF1界が脱炭素の実現に舵を切ったことで

ホンダは「F1から得られる技術やノウハウが、これからの量産電動車の競争力に直結する」

その道筋を見ることができると結論付けた

さらに詳しい内容は省略するが、自身は昔からホンダが好きだ

そこにはホンダというより本田宗一郎の「モノ創りの考え方」が好きなのかもしれない

企業である以上、企業の使命には株主還元として利益の向上は、いつの時代でも付き纏っている

だが利益も重要な指標には要素としてあるが、宗一郎さんは本田技術研究所設立の前に町の修理屋を営んでいた

そんなある時、クルマの重要な部品のピストンリングで悩んでいた

「こんな単調な輪一つが摩滅したり均衡を保てなくなっただけで自動車の動きが全く力を失ってしまう」と・・・

修理屋レベルでは一向に解決の糸口が見つからず儲かっていたはずの修理屋を畳んでしまった

その工場は番頭に無償で譲って「好きにしてくれたら良い」と・・・

そして浜松高等工業学校の門をたたいて自動車の基礎的理論を徹底的に学んだとある

この一部分を知って本田宗一郎の凄さに自身は感動をした

今どきの乗り物は「速く走れば良い」とか「燃費が良い」とか、いろいろ言われるが

本来、自身は、その乗り物のストーリーが好きで購入に至っているように思う

そんな事から自身はホンダ車が好きなのかもである

だがT-PADDOCK630では伝説のホンダ車は4台、全て嫁いでしまった

ただCB77は、あるにはあるが・・・

T-PADDOCK630ショールームにあった、美しい佇まいのCB77だ

それが自身の転倒で
無残にも哀れな姿になってしまった

前方から右に倒れるように滑ったと思われ
ハンドルは左に切った状態から縁石か何かに突っ込んだ様子で、ヘッドライト部分から左フォークカバーにダメージが大きい

だが
ハンドルは路面に引っかかったような強い衝撃を受けたのか、ポストから右側がグニャりと曲がっている

フロント左ウィンカーも衝撃からは逃げられず破壊されている
ただ、ウィンカーに関しては転倒を予測していたのかは不明だがレプリカ品で、確かオリジナルは保管していたように思うが・・・

ただガソリンタンクと

フロントフェンダー
この二つのダメージは大いに痛いと言ったところだ

今回、自身が転倒してCBが大破したことで、月ヶ瀬メンバーのお一人から

「CB,どうすんの?」とご心配を頂いていた

その時は、家族のバイク禁止令が出たこともあり「修理するより減らしついでに売却する」と返答していた

すると「買手がおるよ」と紹介いただき手放すことにしていた

ところが3カ月ほど経っても一向に気配もないことから、買手さんをご紹介頂いた方が・・・

「もう、売るのを止めた方がエエなぁ」と買手さんに売買中止の連絡をして頂いた

そんな経緯から「CB77をこれからどうするか・・・」

迷っていたところで今回、冒頭の「ホンダF1復活」の記事を目にした

その記事を読んでいて自身は文中の「復活」なる言葉に「ぐっぐっ!」と押される感覚を覚えた

そこには自身の家庭内の変化もある

最近は「バイク禁止令」も少々、トーンが変わってきている

と言うのは先日の週末、家人から

「あした、雨模様やなぁ・・・またバイク乗られへんなぁ・・・」と!

「うん?・・・そやな」とだけの生返事で、それ以上は何も発せず黙っていた

自身の内心は「えっ?いつからバイクの許可が下りたん?」なのだが余計なことは聞かずに大人しく目立たない様にバイクに乗っている

そんな家庭内の葛藤もあったが「F1復活」に押され、CB77の復活を地味に始めようと思った次第だ

HONDAは1959年のマン島優勝から翌年の1960年

マン島優勝から知見を得たことでCB72のファーストモデルを発表し販売を始めた

それが下の・・・
地味なCB72だが、今の時代では逆にストイックで新鮮な乗り物に映るかも・・・

だがHONDAのF1復活の大義とT-PADDOCK630のCBという旧車復活の大義?

なんか大義の方向が真逆になってないかぇ?・・・

T-PADDOCK630 T/Tatsumi