2023年6月1日木曜日

『Bike in the sky』#338 ミーティング真っ盛りの中で思い出すこと

ここ最近は各地でバイク、クルマを問わずミーティングと称したイベントが行われている

こうしたイベントは自身が知る限り1970年代後半ぐらいから関東を中心に開かれ出したように記憶している

もちろん小規模なイベントは1950年代でもあったが、そこには販売代理店主催での思惑も当然にあった

しかし1980年代に入ると利害関係を有しない純然たる「同士の集まり」とした交流の場として現在につながる

そこで「そんなこんなのミーティングがあるよ」と友人の2〇さんから連絡を頂き先週の土曜日、月ヶ瀬で待ち合わせ自身と共に出かけてきた

それは関西のW1ミーティングとしては知る限り最大の会員数を誇るイベントで自身は約20年以上前だろうか、第1回から参加させてもらっている
当日は天候も良く「100台は来てるかな」ぐらいのW1が集まっていたように感じた

また今回は古くから知る方ともお会いでき、さながら同窓会の様相だった
受付で500円の会費を払い、後の抽選でW1の部品等が当たる毎度のイベントもあった

そんなミーティングに参加したバイクの番外車
2代目だろうの1979年発売のHONDAゴールドウィングGL1000

水平対向4気筒、シャフト駆動のリッターバイク
タンク上に燃料計などを配し、アメリカ市場を意識したモデルだ

ハーレーに乗るなら自身は今でも、このGLの方が欲しいバイクだ

欲しいバイクと言えば
500㏄のメグロK2サイドカーだ

このK2をベースとし、624㏄にボアアップをして発売したのがメグロを吸収したカワサキのW1だ

よって真のW1乗りは「メグロのK2の方が好きだ」という方は多い

このK2サイドカーのオーナーさんもその一人で、久しぶりにお会いしたBen〇さんだった

また、こちらのサイドカーはさらにトレーラー型のカーをも牽引した今時のW650?800?かだ
カーを2台!

ここまでくると直進は何とか走れても「曲がる、バックする」が相当慣れないと乗っててもドキドキしそうだ

そしてW1Sに付けられたサイドカー
こちらのサイドカーはサスペンションにお金がかかっている

特に本体側のフロントに「アールズフォーク」という横剛性を強化した特注ものだ

そして次はメインのW1だが、生産台数は相当数ある

その中でも、このWはある意味レア車だ

メグロ社を吸収合併したカワサキがメグロK2のボアアップ版をW1として1966年にアメリカで発表した
そのW1はシングルキャブだが、そのW1とツインキャブになったW1Sとの間で僅かの弾数だがW1仕様の車体にキャブをツインにしただけのSが発売されていた

それが上の画像のW1・・Sだ

そういう意味では非常にレアなのだが・・・Sにしては重量が相当重いのだ

特徴的なのは
W1シリーズでは最もカッコいいメーターとされる

ウィンカーも両面レンズの太鼓型だ

また
ホルダーにある小さい一つの赤い印が何とも言えない

無駄なことは一切しないと言わんばかりのライトのポジションマーク・・・などなど

そして、この日は午前中にミーティングが終了したこともあり、その後は同行した2〇さんとランチに向かった

そのランチは2〇さんが知る「豚丼専門店」のお店で少々並ぶことになったが、なかなかの美味しさだった

その後、名阪国道で2〇さんと別れ帰路に着くが、久しぶりのプチツーリングで自身は少々疲れていた

よって次の日の日曜日はBeckで月ヶ瀬に向かうことにした

次の日も同じく快晴だ
月ケ瀬に着いて暫らくすると、どこかで見かけた356がやってきた

その356から降りられたドライバーを見ると

昨年、356とBeckのミーティングに誘って頂いた「若兄さん」だった

「わ~、ご無沙汰です」とお互いに挨拶を交わすことになった

しかし、その若兄さんが珍しくも月ヶ瀬に来られた理由は別にあった

実は当日、月ヶ瀬の公民館横の駐車場でVWのミーティングがあることから若兄さんも参加予定との事だったのだ

そして若兄さんは自身が毎週、月ヶ瀬に来ているのは、ご存知だった事から

「たぶんタツミさんも行くのでは・・・」と先に月ヶ瀬お茶屋前に立ち寄られたというわけだ

自身は全くVWのミーティング開催は知らなかったのだが月ケ瀬で何気に携帯を見ると・・・

月ケ瀬ルーキーのIdo〇ちゃんが前日の夜に「VWのミーティングありますから来て下さい」とメールを入れてくれていた

そんな事情もあって若兄さんと急遽、VWのミーティングに向かった
60~70台ぐらいはいただろうか

ビートル系のタイプ1とワーゲンバスのタイプ2やセダンのタイプ3などなど

そこに若兄さんの356と自身のBeckで乱入すると・・・

VWとは同類ではあるが、ややアウェイ感を感じる目線が痛いような

そして会場をブラブラと・・・

先ず目に入ったのが
ロードクリアランス10mmぐらい?に見える超ベタベタのオープンビートル

道路交通法では最低地上高70mm(現状は不明)と定められているはずだが・・・

それ以前に走行中、各所の路面で「ガリガリと擦りまくってるのでは・・・」とそっちの心配をしてしまう

このオーナーさんはIdoちゃん達と数年前、カブ等で行ったCafeのオーナーさんのVWらしい

そのCafeの雰囲気とはトーンが違っていて少々戸惑ってしまった

タイプ1ではこんなVWも
ポルシェのル・マンカラーのようなホットロッドテイストなVW

続いて自身が欲しいテイスト
タイプ1をカスタムしたデューン・バギー?・・・風か?

これはイケてるではないか?
ヒップスタイルがデューンバギーの特徴だ

こういうのってマジでセンスが必要とされる

もう一台、バギータイプがいた
色目が・・・

続いてタイプ2になる通称ワーゲンバス
この手は維持も大変と聞く

また故障時、今の様にレッカーサービスもない時代、重量も重い事から押すのも大変だったようだ

またエイジングを掛けたのか?ナチュラルなのか?
らしい雰囲気だが・・・なんとも好みが分かれるところだろう

室内は
・・・だなっ!

そしてジェントルなタイプ3だ
非常にキレイに乗っておられ、大切にされてる感が伝わってきた一台だ

それも島根からのお越しだった

他にも多数のVWがいたが

最後は、なんと言っても完璧なオリジナル状態をキープしていたタイプ1だ
ナンバープレートもシングルの「5」で1960年代中期ぐらいだろうか

プレートは許可を頂いてボカシは入れていない

気になったのは「和」ナンバー

この時代の「和」は和歌山の「和」なのか

もしくは和泉の「和」なのか、確認するのを忘れた

そんなことよりVW本体を長年の相棒として乗り続けられてるのが凄い事だと感動してしまった

たぶん室内保管と思われるが、とにかく当時からのままを保たれていることに恐れ入った

室内は
室内も非常に綺麗な状態でオリジナルのままだ!

三角窓がさらにムードを上げている

という感じで会場には1時間ほどいたが、自身は所用で先に失礼をさせて頂いた

しかし、この土日は各所でイベントもあって巷には旧車が溢れ出していた

先週の月ケ瀬にも珍しいクルマが来ていたようだ
(shim〇さんのFB画像をお借りしている)
1971年頃だったか

日本の本格的なモータリゼーション幕開けの時期、トヨタから「未来から来たクルマ・・・」だったか

そんなキャッチコピーで華々しくデビューした「セリカ」だ

上画像のセリカはボディカラーがオリジナルかは不明だがホイルなどを見る限りGTではなくST他などの初期型と窺える

当時「セリカの売り」は「フルチョイスシステム」と言われた、ボディカラーや室内のグレード、キャブもシングルかツインか等を、それぞれのジャンルから好きな組み合わせで「自分だけのセリカ」にできる販売手法で画期的とされた

しかし1600GTのみは一切の仕様変更は許されないワングレードだった

結果は1600GTに圧倒的な予約が殺到し、続いてSTのフルチョイス車にも集中した経緯がある

このセリカのGTに乗せられたエンジンが後に名機と言われたDOHCの「2TG(トゥ―ティージー)」を搭載していた

たしか、この2TGのエンジンはセリカ以前にあった「トヨタ1600GT-5」に積まれた4気筒DOHCの改良型と言われていたように記憶している

ただ、相当な年数を経ていることから上記の話の正確さには少々の不安はあるが、それなりに知見を得られたのは自身の兄がセリカを購入した時だった

そんな縁もあってセリカには非常に熱くなったことを覚えている

またセリカには自身も、それなりに思い出があるのだ
今から40年前ぐらいだろうか東花園の実家に長女を連れて行った時の写真だ

このセリカは元々、前述の自身の兄が乗っていたのだが、それを譲り受けた

そこから自身は友人のクルマ屋にカスタムを依頼する

オリジナルの人気カラーだったブルーグリーンメタのボディ色をアイボリー系に塗り替える

そして胆のエンジンは中古パーツでキャブは大径のソレックス、排気系にタコ足でパワーアップ

そして足回りは固めのショックに換え、ホイルには新品のワタナベとタイヤもサイズ205と当時として極太・・・等々

サラリーマンで貧乏暮らしだったが家内は、よくお金を出してくれたもんだ

そんな思い出のあるセリカを走行距離が11万キロの長きに渡るまで愛用させてもらった

だがサラリーマンから独立し、アパレルの会社を立上げ2年ほど経った頃セリカは遂に動かなくなった

そして次に来た我が家のクルマはダイハツの軽四輪ミラだった

これが社長車として初めての新車だった

しかし引き取りも兼ねたトラックの荷台に積まれたセリカを見送る時、一気にいろんな事が思い出され自身は少し涙ぐんだように記憶している

連れていかれるセリカが可哀そうだったこともあって、その後はバイクもクルマも比較的長く乗り続けるようになった

そして起業してから会社が軌道に乗るまではミラは優等生だった

全国の専門店に新規開拓をミラで回った思い出がある

そんな専門店回りの中で、とある専門店さんの社長から

「社長が地方回りを軽四で回るとは何を考えとる!もし事故で何かの被害にあったら会社はどうなるか考えろ!」

と、きつく経営者教育を受けたほろ苦い思い出がセリカから繋がった記憶に残されている

今、旧車ブームはいいとして自身が思うことはブームだけで乗るのではなく、その生まれた時代のドラマや背景も分かって乗って欲しいと思っている

それを理解できてこそ旧車の魅力が分かって来ると思うのだが・・・

いかんいかん!

また旧人の思考が怪しくなってきたぞ!

T-PADDOCK630 T/Tatsumi

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