だが11日火曜日の紀元節、いわゆる建国記念日にはBeckで月ヶ瀬に出かけてしまった
そこには、かの神武天皇が即位したとされるお祝いの日であったことが影響している
と?ウソっぽい御託を並べて出向いた
その月ヶ瀬
なんとも淋しい、わずか6名の先着していた月ヶ瀬信者ごく少人数でも、月ヶ瀬信者の話題は途切れることがなかった
そして小一時間を過ごした自身は引き上げたが帰りの道中、Beckの走りが微妙に重く感じた
それは前回時にも感じていたが、そこまでは気にもならなかった
だが今回は、ちょっと気になったのでガレージに戻ってタイヤの空気圧を確認した
案の定、4本の全てが1.4~1.5Kg/㎠
「オ~、俺の感覚もまだ落ちてないやん!」と、怠慢と自己満が交錯していた
よって、ついでにチョロQことツインもチェックしてみた
チョロQの場合はBeckと違って最近、少しづつ燃費が悪くなっていた
そして空気圧の計測結果、なんとBeckより悪い、全輪1.3kg/㎤前後!
なんとも我ながら情けない気持ちにさせられた
また序でに前後のタイヤもローテーションを掛けておいた
これで燃費が回復すれば、それはそれでビンゴだ!
今まで、今回のような「凡ミス」は、あまり記憶にない
それも、かってはT-PADDOCK630と称し始めた20年前にはバイクだけで20台
クルマも3台と、ガレージ内は所狭しな状態だった
そんな状態でも今回の様な凡ミスはなかったと思われる
やはり脳ミソが、まだ若かったのだろう
そんな事を思っている時、たまたま20年前の所有していたバイクを思い出そうとした
だが、それがなかなか思い浮かばなかった
で、昨日、気になって思い出せないバイクのアルバムがあるか、探しながら調べてみた
先ずCB50のセミチューンをかけたカスタム車
T-PADDOCK630三重支局長が2輪免許を取って間もない頃に乗っていた続いて
長男が通勤用に購入したNauty DaxにPC20キャブを装備し、外装をアレンジ
続いて長女のバイク
当方の長女は親が言うのもなんだがジャジャ馬で「私もバイクに乗りたい」から購入に至る
それも「旧車が欲しい」という事でCL72になり、暫らく乗っていたが「クラッチが重たい」と言う理由で・・・乗りやすいバイクに乗り換えた
ヤマハのSRV250だ
だが、長女は結婚した挙句にSRVは三重支局に養子で出て行った
その後のCLは
次は問題児
元のバイクが何か分る人は達人を越えて変人だろうまた、この20年で所有していたバイクで忘れてはならないのが・・・
上画像の左のNSRこれは三重支局長が乗っていたが、アグスタF4に乗り換えた事から引き取る羽目に
その引き取ったNSRを自社の営業マンOH君が欲しいというので譲った
さらに譲った自身は並行車のCBRの600RRを購入
それで岡山のTIサーキットで走行会に参加した時のひとコマだ
その600RRも上画像のOH君が欲しいという事で譲ったが、自身が飛びついたバイクがあった
DUCATI MH900eだその並行車でもあったことからT21とも呼ばれた
ただ、T20にはディスクブレーキは無かったが上画像のフロントブレーキはディスクだ
それに至る経緯は、上のT20のエンジンを飛ばし過ぎて焼いてしまったことがあった
それ故、エンジンを探していたところ、青森で格安のGT250を見つけた
(ネットの画像を借用)だが手に入れた時、意外と程度が良かったので軽くレストアを掛けエンジンも組み直し走れる状態にした
走れたのだが、なぜかハンドルが少し取られる感があった
それはフロントフォークが微妙に僅か歪みがあったからだ
で、結局エンジンの腰上一式をT20に移植
ついでにGTのフロント周りもT20に移植して仕上がったのが上の画像だ
このT20はレース用のチャンバーで、とにかく馬鹿ッパヤなジャジャ馬バイクでもあった
そして
モンキー2代目にあたる(厳密には3代目)Z50Aだこのモンキーはマジで高校2年から約53年間も所有していた
それだけに愛着もあったが「欲しい」という方がおれば、躊躇している場合ではなかった
また、へんな因縁のバイクもあった
四国の中村市から嫁いできたイーハトーブ125だがT-PADDOCK630がレストアを掛け、250のエルシノア風にしたそれを前オーナーが見た途端、「返して欲しい」と言ってきたバイクだ
まぁ「喜んでくれるのなら・・・」で、数か月間の所有だったが中村に帰っていった
また・・・
言わずと知れたKAWASAKIのKAマッハⅢ同様に今でも惜しまれるバイク
CB750 K0だが関東に嫁いでいったブリティッシュグリーンに一文字ハンドルの英車テイストにした一台
元気にしてるのだろうか
こやつも・・・
沖縄に嫁いでいったYAMAHAのXS1 最初期型T-PADDOCK630の中で最も世間から、よく褒められたカラーリングのXS
マフラーはトライアンフ用の新品キャブトンタイプを装着していた
この辺りの年になると「どうしたのか?」と思えるほどT-PADDOCK630のバイクに問い合わせが多くなった
このDUCATI Mach1も、その一台で東京のイタ車のコレクターの元に嫁いでいった逆に入れ替わる様にT-PADDOCK630に嫁いできた原チャもある
SUZUKIのセルペットP50だキャブのセッティングか、もしくは混合油の2ストオイルのマッチングが悪いのか今一つ調子が上がらない
これも惜しまれた一台だが、まともに時間とお金がいくらあっても足りないと思わせられた
そして今、残っているバイクは
W1S以上の合計23台だが、このT-PADDOCK630内で同時期を過ごしていたバイクは記憶が正しい限りで19台だった
良くもまぁ、どうやって詰め込んでいたのか
今から思えば19台と、さもコレクター気取りで言っているが、よくよくこうして振り返るとけっこうガラクタも多いではないか
でもガラクタは今、思い出してもけっこう楽しかった記憶は残っている
こういう感覚がバイクの楽しさではと、つくづく思うが・・・
その境地・・・「Bike in the sky」だ!
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