2025年2月27日木曜日

『Bike in the sky』#427 断捨離Part2

今年の2月も明日で終わりを迎える

そして3月の声を聴くと、やはり人は浮かれ出す

だが自身は、この2月・・・

さらに昨日26日は一昨年の同日、CB77で転倒事故に見舞われた記憶が戻ってくる
上画像は自身が転倒し肋骨4本と鎖骨を骨折し救急車で運ばれて行った後の現場

そのCB77は月ヶ瀬ライダーのIshi〇さんとAsa〇さんの連携にてレスキューしてもらった

そこでレスキュー時、Asa〇さんに記念撮影?をして頂いた画像だ

さらに退院までの期間、CBは同じく月ヶ瀬ライダーの茶碗屋オーナー宅で預かってもらった

マジで皆さんに助けてもらった事が嬉しかったと同時にありがたかった

それ故、この2年間は明らかに冬場にバイクを乗るには気が退けている

そんな事もあり、冬場はガレージの断捨離と称してバイクを遠ざけているのかもしれない

おかげでCB77はなんとか・・・
転倒後、一年振りで同じ場所にて撮影もしたが・・・

だが転倒とは関係なく、最近はマジで「齢いってきたなぁ~」と感じる

先ずバイクに限らず、いろんな片付けなどもめんどくさくなってきている

そこに、今年の冬場の寒さだ

であっても先日より綴っている断捨離作業は、まだまだ続いている

今回の本編は先週、掲載を忘れた断捨離作業のPart2だ

その断捨離は合い間をみて「まぁ、二度と使わんだろう」と思えるモノを処分もしくは譲渡している

今回も仕事の現役時に興じたゴルフに続くお遊び道具だ

先ずスキー用の道具だ
板やストック、さらにウェアもあったが、それらは人様に差し上げるレベルではなかった

前回のゴルフ道具の様な程度からは到底及ばないレベルゆえ、廃棄処分とした

だが、上画像のブーツは引っ張り出した時点で「おッ!まだいけそうちゃう!?」と思った

そして各部をチェックしていると・・・

3連のフックベルトを外し、手でブーツ外側の樹脂部を拡げ足を入れようとした瞬間!

各部の樹脂類は「バキ、バキ・・・」と歯切れの良い音を立てて割れてしまった

「え~!」と、笑うしかなかった

で、その他の樹脂部も軽く力を入れると・・・

その樹脂部も、まるで煎餅を割る様に「パキ、パキ、パキ・・」と全て割れてしまった

「あ~ぁ!」

これでオーストリア?のDAHA STEINのブーツも、お釈迦になってしまった

という事でスキー用具は全滅だった

スキー用具に続いて次はスキューバダイビング用のギア類

先ずウェットスーツ
これはチェックもしたが、まだ使えるレベル

おまけに水深30mから50m程度?用のアッパージャケットも健在だった

そしてフィンこと足ひれ
なぜか足ひれは別に小サイズも出てきた

たぶん40歳代の頃は妻もスキューバに連れて行った記憶があった

その時のモノだろう

またフィンの上には水深10m当たりの岩場で貝やウニなどを捕らえる際の諸刃のナイフまで写っている

日本の海は殆どが狩猟禁止ゆえナイフは使えないが唯一、沖縄の海ではサメ等の護身用で、このナイフはホルダーから外して潜った記憶がある

とにかく沖縄の海は水深30m~50mでも透明度は抜群で水の中にいる感覚は全くない

まるで空中を飛んでいるような錯覚に陥り、すごく気持ちが良かったことは忘れられない

そして更にボンベ以外のギア類
3連ゲージとレギュレータ、対ボンベ用バルブやマスクなどなど・・・

各パーツは使えそう?だったがレギュレータとゲージ間など、どのホースの外面にはヒビ割れが多数あった
これでは各パーツが生きていてもホースがアウトでは用をなさない

よってナイフ以外は全て処分することにした

結局、2~3週間を要して30年弱を保存していたバブル景気時代のお遊び道具

それ等は一先ずの処分は終えたが、その30年間の保存は、いったい何の為だったのか!?

これで、かっての自身のバブルも今、この瞬間をもって雲散霧消の如く消えていったようだ

儚くも侘しい感覚だ!

そして断捨離は、まだまだある

3階の自称、BBQホールにも・・・
相当、以前にもアップしたがアンティークの薪ストーブ(都市ガスにも対応)

さらに
1960年代初頭の糸巻機

これってアンティークと言えども、今のこの時代でどう使うのか!?

極めつけは・・・
大正時代から昭和初期の遺物だろうか!?

海賊からの押収品?とでもしておこう

と、いう具合に片付けるべきか廃棄するべきか

悩み深いシロモノは、まだまだあるのだ!

だが、これらを有効に使うには自身は少々、齢をとり過ぎた

これからは、それらの小道具やオモチャと過ごした時の余韻に浸り、健康に過ごせれば「我が人生に悔いなし」になるだろう

「我が人生に悔いなし」???

「うん?」どっかで聞いたようなフレーズ!?

石原裕次郎か!?

T-PADDOCK630 T/Tatsumi

2025年2月20日木曜日

『Bike in the sky』#426 アフターパーツは・・・

以前にもガレージの断捨離記事を挙げた

今回は、そのPart2だ

だが断捨離と言っているが暇な時は、ついついネットでオークションなどを見てしまう

そんな時、半ば諦めていたRT1のオイルタンクキャップが出ていた

YAMAHA車は、軽量化を狙ってかエンジンオイルの注入口などにも金属製ではなく樹脂製を多用する

現在のオイルキャップは樹脂製ゆえ、見た目からも劣化が進んでいるのが見て取れる

キャップを外してネジ部を見ると・・・

上画像が当該オイルタンクのキャップだが、相当以前からネジ部にガムテープを巻き付けて凌いでいた

今までオイルが注油口から漏れて出たことはないが所詮、凌ぐレベルだ

よって以前から、このキャップを探していたが自身は見つけることができなかった

そんなことで今回、即決で購入に至った
やはり新品は気持ち良い

新品と言っても純正ではない

リプロ品と思われるが、YAMAHAの音叉マークも入れて純正そのものだ

早速、交換したがキチっと閉まった

ただリプロ品、かつ樹脂製ということもありグッと締め込む様なことはしていない

余談だがネジ類は材質によって、またネジを締め込む相手の材質によって掛ける力は気を遣う

今回のRT1のオイルキャップは締めこんで軽いタッチで止ったところで僅かに捻って止めた

このぐらいの力加減で十分なはずだ

だが、それをしっかり留めようとするユーザーは多い

話しは逸れるが特に点火プラグをシリンダーにハメる時などでは、フィニッシュでレンチを使い思いっきり締めこむ人を見かける

これは自身も素人ながらだが、プラグには中空タイプのワッシャがセットされている

これは締め込んだ際、ワッシャが潰れてシリンダー側の微妙な凹凸にフィットするように考えられている

よってシリンダーに当たるまで手で締めこみ、後はレンチでキュっと締めるだけで十分だ

話しを戻して今回のRT1のオイルキャップ上部は手用の突起状になっている

これを回して締めこみが止まった所から軽くキュっと締めて終了

それをRT1の前オーナー?かは不明だが、けっこうな指先の力で締め込んでいたのだろう

さらに余談だが以前に所有していたKAことKAWASAKIマッハⅢの3気筒エンジンの一つが、そのプラグ穴がバカになっていた

このKAもRT1もUSAの帰国子女だった

「さっすが、アッメリカだぜ!」

まぁ大雑把なモノづくりと言えば、今時は中国の海外モノのパーツが巷に溢れかえっている

ただ今時は海外パーツと言っても全てが粗悪品とは言い切れない
T-PADDOCK630ご近所のバイクに中華メーターが二つ装備されていた

タコメーターが500円?、ボルテージのインジケーターが130円?ぐらいだったか?

あまりの安さにオーナーさんも笑っていたが、自身も笑うしかなかった

おまけにマフラーも・・・
たしか25000円?いや2500円?・・・

どちらにしても値段より・・・ド、ヤカマシかった(笑)

また先週の月ヶ瀬でも
友人のCB450 K1だがペンシルタイプのマフラーに換装されている

自身は「ヨンハンのK1はペンシルマフラー似合うねぇ~」と称賛していた

と言うように以前から換装されていたのは分かっていたが・・・

「ノーマルのモナカマフラーよりは小気味よい排気音でエエ感じやん!」と言うと・・・

笑いながら「いやいや、中華製で2万そこそこやからダメ元やねん!」だった

やはり中華製は、どなたも「(笑)がセットで付いてくるのが魅力」なのだろう

だが自身のバイクは笑えない「貧乏仕様」になってしまう
当日の月ヶ瀬だが今回も寒さでKLシェルパで行ってきた

上画像に写る赤タンクのKLは、とにかくエンジンはスコブル快調なのだが、どうしても元々のノーマルのスタイリングとパープルという色目が好きになれない

よってT-PADDOCK630にある、何用かは不明だが在りモノのタンクやパーツで遊んでいる

こんな貧乏仕様では人様のバイクの評論は「老害」だろう

「あッ!?断捨離Part2の記事・・・忘れた」

T-PADDOCK630 T/Tatsumi

2025年2月13日木曜日

『Bike in the sky』#425 その境地・・・

先週末、毎度の月ヶ瀬には雨模様という事で行かなかった

だが11日火曜日の紀元節、いわゆる建国記念日にはBeckで月ヶ瀬に出かけてしまった

そこには、かの神武天皇が即位したとされるお祝いの日であったことが影響している

と?ウソっぽい御託を並べて出向いた

その月ヶ瀬
なんとも淋しい、わずか6名の先着していた月ヶ瀬信者

ごく少人数でも、月ヶ瀬信者の話題は途切れることがなかった

そして小一時間を過ごした自身は引き上げたが帰りの道中、Beckの走りが微妙に重く感じた

それは前回時にも感じていたが、そこまでは気にもならなかった

だが今回は、ちょっと気になったのでガレージに戻ってタイヤの空気圧を確認した

案の定、4本の全てが1.4~1.5Kg/㎠

「オ~、俺の感覚もまだ落ちてないやん!」と、怠慢と自己満が交錯していた

よって、ついでにチョロQことツインもチェックしてみた

チョロQの場合はBeckと違って最近、少しづつ燃費が悪くなっていた
そして空気圧の計測結果、なんとBeckより悪い、全輪1.3kg/㎤前後!

なんとも我ながら情けない気持ちにさせられた

また序でに前後のタイヤもローテーションを掛けておいた

これで燃費が回復すれば、それはそれでビンゴだ!

今まで、今回のような「凡ミス」は、あまり記憶にない

それも、かってはT-PADDOCK630と称し始めた20年前にはバイクだけで20台

クルマも3台と、ガレージ内は所狭しな状態だった

そんな状態でも今回の様な凡ミスはなかったと思われる

やはり脳ミソが、まだ若かったのだろう

そんな事を思っている時、たまたま20年前の所有していたバイクを思い出そうとした

だが、それがなかなか思い浮かばなかった

で、昨日、気になって思い出せないバイクのアルバムがあるか、探しながら調べてみた

先ずCB50のセミチューンをかけたカスタム車
T-PADDOCK630三重支局長が2輪免許を取って間もない頃に乗っていた

続いて
長男が通勤用に購入したNauty DaxにPC20キャブを装備し、外装をアレンジ

続いて長女のバイク

当方の長女は親が言うのもなんだがジャジャ馬で「私もバイクに乗りたい」から購入に至る
それも「旧車が欲しい」という事でCL72になり、暫らく乗っていたが「クラッチが重たい」と言う理由で・・・

乗りやすいバイクに乗り換えた
ヤマハのSRV250だ

だが、長女は結婚した挙句にSRVは三重支局に養子で出て行った

その後のCLは
こんな感じの「カリフォルニア カスタム」になってしまった

次は問題児
元のバイクが何か分る人は達人を越えて変人だろう

また、この20年で所有していたバイクで忘れてはならないのが・・・
上画像の左のNSR

これは三重支局長が乗っていたが、アグスタF4に乗り換えた事から引き取る羽目に

その引き取ったNSRを自社の営業マンOH君が欲しいというので譲った

さらに譲った自身は並行車のCBRの600RRを購入

それで岡山のTIサーキットで走行会に参加した時のひとコマだ

その600RRも上画像のOH君が欲しいという事で譲ったが、自身が飛びついたバイクがあった
DUCATI MH900eだ

この頃の我が家は、ちょっとしたサーキット走行ブームで妻も一緒にサーキットに同行した

この時代辺りでは
SUZUKIのT20

その並行車でもあったことからT21とも呼ばれた

ただ、T20にはディスクブレーキは無かったが上画像のフロントブレーキはディスクだ

それに至る経緯は、上のT20のエンジンを飛ばし過ぎて焼いてしまったことがあった

それ故、エンジンを探していたところ、青森で格安のGT250を見つけた
(ネットの画像を借用)
だが手に入れた時、意外と程度が良かったので軽くレストアを掛けエンジンも組み直し走れる状態にした

走れたのだが、なぜかハンドルが少し取られる感があった

それはフロントフォークが微妙に僅か歪みがあったからだ

で、結局エンジンの腰上一式をT20に移植

ついでにGTのフロント周りもT20に移植して仕上がったのが上の画像だ

このT20はレース用のチャンバーで、とにかく馬鹿ッパヤなジャジャ馬バイクでもあった

そして
モンキー2代目にあたる(厳密には3代目)Z50Aだ

このモンキーはマジで高校2年から約53年間も所有していた

それだけに愛着もあったが「欲しい」という方がおれば、躊躇している場合ではなかった

また、へんな因縁のバイクもあった
四国の中村市から嫁いできたイーハトーブ125だがT-PADDOCK630がレストアを掛け、250のエルシノア風にした

それを前オーナーが見た途端、「返して欲しい」と言ってきたバイクだ

まぁ「喜んでくれるのなら・・・」で、数か月間の所有だったが中村に帰っていった

また・・・
言わずと知れたKAWASAKIのKAマッハⅢ

同様に今でも惜しまれるバイク
CB750 K0だが関東に嫁いでいった

ブリティッシュグリーンに一文字ハンドルの英車テイストにした一台

元気にしてるのだろうか

こやつも・・・
沖縄に嫁いでいったYAMAHAのXS1 最初期型

T-PADDOCK630の中で最も世間から、よく褒められたカラーリングのXS

マフラーはトライアンフ用の新品キャブトンタイプを装着していた

この辺りの年になると「どうしたのか?」と思えるほどT-PADDOCK630のバイクに問い合わせが多くなった
このDUCATI Mach1も、その一台で東京のイタ車のコレクターの元に嫁いでいった

逆に入れ替わる様にT-PADDOCK630に嫁いできた原チャもある
SUZUKIのセルペットP50だ

キャブのセッティングか、もしくは混合油の2ストオイルのマッチングが悪いのか今一つ調子が上がらない

そして忘れてならないのが
BSA 650 ロケットゴールドスターだ

これも惜しまれた一台だが、まともに時間とお金がいくらあっても足りないと思わせられた

そして今、残っているバイクは
W1S

CB77

RT1

NSU

KLシェルパ

以上の合計23台だが、このT-PADDOCK630内で同時期を過ごしていたバイクは記憶が正しい限りで19台だった

良くもまぁ、どうやって詰め込んでいたのか

今から思えば19台と、さもコレクター気取りで言っているが、よくよくこうして振り返るとけっこうガラクタも多いではないか

でもガラクタは今、思い出してもけっこう楽しかった記憶は残っている

こういう感覚がバイクの楽しさではと、つくづく思うが・・・

その境地・・・「Bike in the sky」だ!

2025年2月6日木曜日

『Bike in the sky』#424 歳を重ねて・・・

2月に入って間もないが、ここ最近の寒さはジジィにはこたえる

よって2日、3日の土日も、まったくと言っていいほどバイクには乗っていない

早く気持ち良い春が来て欲しい・・・と願う

よって昨日までは、めんどくさい「確定申告」の書類作成で時間を費やした

だが、自身の性格ゆえなのか、ちゃっちゃと半日でほどで済ませてしまった

そこには亡き父の教えがあった

「戦は陣取り、仕事は段取り」

この教えは、もの心がついた頃から耳タコで聞かされていた

おかげで社会に出ても、起業をしても大いに役立ったと言えよう

そんな段取りで準備をしていたのがW1Sの車検だ
このW1はオリジナルと違って各所にカスタムが施されている

このままでは通常、車検は通らない

よってカスタムをした今から約30年以上前に「構造変更」を申請して車検には対応していた

さすがに、この手の申請は仕事で忙殺されていた自身には範疇外ということで当時お世話になっていたバイク屋のオヤジさんにお願いした

そのW1の車検も今回が自身にとって最後の車検となるだろう

そこには、かっての2000年問題ではないが、自身の「75歳問題」がある

特にW1のような約200kgほどの重量級バイクは、あと1年を無事過ごせば手放そうと考えている

そのあとに続くCB77やRT1,NSU、KLシェルパなどなどは車検はない

よって、W1が手を放れれば75歳までに随時、去っていくだろう

よくもまぁ16歳の小僧時代から60年近くも長きに渡ってバイクライフを楽しめたことは、この上ない幸せなことだ

しかし60年と語っているが、マジでびっくりするのは60歳を過ぎての12年間の速さ・・・
いや!その速さは今のT-PADDOCK630ガレージを手にした約20年間と言った方が、さらに早い実感がある

それまでは東生駒の自宅に掘り込みのガレージがあった
元々はクルマ用のガレージだったところだ

そこにバイクをキチキチに詰めても収納数は6台ぐらいがMaxだった

そして「整備屋ごっこ」をするには都度、バイクを外に出さなけらばならなかった

そのバイク達を外に出して・・・
マッハⅢKAのレストア作業中の画像だが、こんな状態で、ガレージの外が時おり雨が降ることもあった

そうなると大慌てで作業を中断し、ザっと片付け、外に出したバイクを順次、ガレージに入れる

こんな事があると趣味も趣味でなくなり、バイク達が可哀そうになる一幕もあった

そんなことが数年続いた訳だが、自身はここで発想が変わった

発想が変わった要因は省略するが、自宅とガレージのあり方を考えれば行き着く先は・・・

「家付きガレージ」を探すべく東大阪に自宅とガレージを構えたのがT-PADDOCK630だった
このガレージに越してきた当初は「自分色の遊び場」をコツコツと創り上げていくだけで数年掛ったように記憶している

それも越してきて7,8年はまだ現役で仕事をしている

仕事をしていても「早く土日にならないかなぁ!」と、ガレージばかりが頭をよぎる

こんな心境で仕事していれば「社業の業績に関わるのでは・・・」といった声もあった

だが、不思議のことに社の業積は毎年、倍々感覚で伸びていき、アメリカNYとビバリーヒルズに出店もした

その数年後はイタリア・ミラノやフィレンツェにも進出することになった

すると日本の業界でも話題になり六本木ヒルズや代官山などにも出店することができた

今から思えばプライベートな時間が充実していると、脳ミソが活性化され、仕事も楽しく、少々不謹慎な表現だが、遊び感覚でできていたように思える

こんな駆け足のような7、8年だったが自身は「もう疲れた!引退する!」と突然の引退宣言

これには社内をはじめ、スポンサー企業、商社、デベロッパー等々、銀行までも猛烈な反対や講義の声が挙がったが・・・

「いや!絶体辞めます!」

「企業のハンドリングは一番良いところで次にバトンを渡すのがベストです!」

と、我がまま満点で身を引いた

そして60歳でスパッと会社を引退して12年ほど経ったが、その12年間で他社の再建、美容関係、スケボー教室等と、すき間時間で若干の寄り道をした

それはそれで新鮮と同時に他業界を知ることで勉強にはなった

だが、それ等の時間の月日が去っていくスピードは、T-PADDOCK630ガレージを手にした20年も僅か4、5年に感じるほど速かった事だ

まぁそれだけ充実していたという事だろう

よってバイクやクルマなどの後世の「乗り物好き」には伝えたい事がある

「許されるのなら60歳で引退」を勧める

上記の様に「自分の人生」であるという事は「己の時間の使い方」を大切にして欲しい

但し条件はある

お金を掛け過ぎないことだ

できることは極力、自分でやること

その為の勉学と知識を持つこと・・・などなど

自身のガレージも規模の割にはお金はかかっていない
上画像はT-PADDOCK630の入口だが、ここには少々お金はかかっている

6枚の折れ戸仕様で、クルマの出し入れ等では折れ戸を畳めば広い間口にはなる

それでも「今時の30坪そこそこの建て売り住宅並み」と、だけ言っておこう

感覚として言えば「『お金がないと何もできない』という人間は『お金があっても何もできない』」という名言がある

真に冒頭の「戦は陣取り、仕事は段取り」にも相通じる

以前にも同様の記事を書いたが、その時のタイトルは「仕事はゲームだ!」と思う

たしかに「ゲーム」という表記は不謹慎に映るだろう

要は考え方であって、ただ遊ぶわけではない

もう一つの言い方をすれば「白鳥の振る舞い」」だ

白鳥は水面では優雅に見える

だが水面の下の見えないところでは足の水かきで一生懸命、水をかいでいる

これが影なる努力が大切という話だ

よって白鳥の振る舞いを、ただ真似るだけではアヒルで終わってしまうだろう

そんな偉そうなことを言っている自身は「アヒル」になっていることに、気が付いていないかもしれない

T-PADDOCK630 T/Tatsumi