T‐PADDOCK630のタツミです。
前回ブログ#15「One's exclusive hobby」の続きを書きたいと思います。
相変わらず長文になっておりますがお付き合いください。
さて、前回の最後で
”勇気”と”覚悟”から気持ちを”楽しむ”に変えていかなくては・・・
そして、”楽しむ”を手に入れることができれば、「人生の道標」や「仕事の糧」を掴むヒントに・・・
と書きました。
今回は、その続きです。
たぶん旧車を乗っておられる方は納得して頂けると思いますが、
旧車を手に入れて、最初の頃は機嫌よく乗れていたのが、ある日突然エンジンがかからない!
途中でエンジンが止まって、レスキューを呼ぶ羽目に・・・せっかくの休日が・・・
そして、あくる日は仕事で会社に・・・
ところが仕事中も「なんでエンジンが止まってん?」とか、「どうやって修理するん?」とか・・・
頭の中は故障したバイクのことで支配され、仕事も手につかない状況になってしまいます。
そんな状況で「楽しめるか!?」となり、逆にストレスを感じる事さえあります。
ところが、ここから旧車乗りのタイプが大きく二つに分かれます。
一つ目のタイプは、旧車の修理を生業としてるバイク屋に修理依頼をされる方。
もう一つのタイプは、自身でできる限り修理をしようとされる方。
両者、どちらが良いとか悪いとかの話ではなく、共通しているのは「せっかく趣味のバイクで休日に仕事の憂さを晴らしたかったのに・・・」と思うところから、どちらもけっこう”ストレス”が溜まるという事です。
そこの話をしだすと、また話しが長くなりますのでカットして次に進みます。
私の場合は後者の修理を”自分でやろう派”で、あった訳なのですが特別、専門知識を持ち合わせていた訳でもなく、約30年前にリターンライダーとなってバイクに乗ることを再開させたところが遠因だろうと思います。
その再開させた最初に手に入れたバイクが”BSA・GOLDSTAR”
日本でも1955年頃に公道を閉鎖して行われた浅間火山レース
(左の画像:Yahoo!画像サイトより転用)
そのレースにイギリスより取寄せて、HONDAなどの日本車勢を寄せ付けない強さで常勝バイクとして名を轟かせました。
このBSAは当時、友人が「レストア屋を始めるのでイギリスにトライアンフなどを数台、仕入に行く」と言うので、「じゃあ、俺のも頼む!」と気軽に依頼しました。
と言うのも、現地直接仕入れでダイレクトに格安で手に入る訳だったので、好きモノにとっては滅多にないチャンスです。
そして、手に入れたBSAのゴルディ(GOLDSTARの愛称)は500cc単気筒の超伝説のバイク!
しかし、いざ乗り出そうとすると、そのゴルディはエンジンをかけるのに儀式が必要になります。
まず、キャブレターに”ティクラ-”と呼ばれる言わばポンプのような装置でガソリンを通常より多く呼び込む。
(ティクラ-の参考画像 : CB77用に装着のモノ。
1960年後期の当時のレース用CRキャブ)
左画像キャブの真ん中の円筒状に細長く突起してるモノがティクラー
そして、オイルラインのコック(古い英車はオイルタンクからの圧力でエンジン下部にオイル漏れが多く見られ、その防止策としてオイルラインの途中を遮断する事に使われた)を解除し、そして
デコンプレバーを引き燃焼室内の圧力を下げる。
(デコンプレバーの参考画像 : NSUに装着のモノ)
(上左画像がハンドル左にクラッチレバーとは別に取付けられ、このレバーを引くと上右画像の真鍮製のアームが連動して燃焼室内の圧力を下げる仕組み)
次にキックを数回、空キックし、そこから上死点を探し、イグニッションキーをONにして、そこで一気にキックを踏み下ろす。
これ等の儀式でサッとエンジンがかかってくれれば良いのですが、なかなかそうとはならず、またかかって走り出してもCRキャブゆえ、アイドリングも無く、信号待ちでは常にアクセルグリップを煽りながらエンジンが止まらないように、と気を使わなければなりません。
今であれば、上述の状況でも乗りこなせた思うのですが、久々のバイクに「これはちょっとキツイな!?」となり、その友人に「バイクを変えてくれ!」となって、そこで登場したのが下の画像(昔のアナログカメラにて撮影)の同じくBSAですが・・・
このBSA!
同じBSAでも、こちらは2気筒の650㏄!BSA・ROCKET・GOLDSTARです。
このバイクのエンジンはメグロ(1964年に倒産しカワサキに吸収される)のK2(500cc)が、そのまま手本として製作したと言われ、そのままカワサキのW1へと引き継がれた伝説があります。
このROCKET・GOLDSTARは約2年ほど所有しておりましたが、年に数回程度しか乗る時間もなく、たまに乗っても普段あまり手入れをしていなかったことで、夏場に乗ると信号待ちでクラッチを切っているにも関わらず”ズルッ、ズルッ”と前に動き出す、俗に言う熱ダレなどの症状で、いろいろなところに不具合が生じておりました。
しかし、今から30年前辺りの日本ではYAMAHAのSRというバイクがこのBSA風にカスタムして巷では憧れのバイクとして人気を博しておりました。
それ故、手放すのも惜しく結局、写真の様に会社の商談室に”お飾りバイク”として眠らせながら、自社の”商品の拘り”を説明する比喩として一役を担わせておりました。
しかし、私も40歳を過ぎて仕事もやや落ち着き、「休日にバイクを楽しみたいな・・・」となった時、いざ乗ろうと思った時に「ちょっと近場の郊外で乗るバイクがないやん!」
とは言うものの、いろいろ物色していても当時の現行車では・・・
前置きがメチャ長くなりましたが、この辺りから「One's exclusive hobby」に関わってきます。
やはり、皆が乗ってるバイクではなく、何か”主張”するようなバイク・・・自分でチョコッと触れて普通に走れるバイク・・・
そこで頭に過ぎったのが国産の旧車!
そこで1969年製?のカワサキW1Sを入手。
左の画像(Yahoo!画像サイトより転用)
がノーマルのW1S
ノーマルで暫く乗るも、どうしてもノーマルのポッチャリ感が馴染めず、やはりBSAの様なインパクトと言いますかアテンションが欲しいとなりカスタムへの道へと進みます。
下の画像がW1Sを最初にファイバー製ガソリンタンクやFCRキャブ、バックステップなどで換装した写真。
本物のBSAの持つオーラには到底、敵わないのですが、私自身はなかなかのお気に入りで
けっこう注目もされますし、何より45年以上昔のバイクとは思えない故障知らずで、走りがFCRキャブの御かげで、W 1とは思えない100㎞/hを越えてからの加速が気持ち良く、そして低速は当然キャブトンサウンドの排気音が・・・というところでしょうか!?
「One's exclusive hobby」は諺ではないと思うのですが「唯一の趣味」を意訳していくと、趣味をもっと突き詰めていった”ところ”に存在する感覚のような気がします。
ただ”乗るだけ”を決して否定はしませんが、やはり「もっとこんな風にしたいなぁ・・・」とかを自身で創り上げていくのは言葉では言い表せない、何か子供の頃にプラモデルを組み立てて完成させた時の喜びに近いモノがあります。
バイクの車種や新旧などは問わなくても、創り上げていく楽しさは同様に感じれるはずです。
現行車であればもっと可能な事で、実際「ここまでやる!?」という見本が下の画像。
撮影したのが2年前ぐらいで、ニューヨーク/ブルックリンという今、アメリカではアーティストやミュージシャン、マイスターなどの若手がどんどん移住している旬の街です。
そういう土地柄、ベースのTRIUMPHと分かるのがエンジンぐらいで、あとはご覧のように色から全てやりたい放題に仕上がっています。
また、次の写真は
こちらは昨年、ロスに行った際、アパレルクリエーターの友人がバイク屋をやってるとの事で、「一度見て欲しい!」と言われた時のものです。ベース車はHONDAのCB500か550!
こちらも一見してベース車を特定できるのは、やはりエンジンです。
今、アメリカは元々のオリジナル車というのは現行車以外殆ど見られず、それ以外は何がしかのカスタムを施してます。
そのカスタムもオンロードのネイキッド系であればハーレーでも、ご覧の様な画像のテイストに振られており、今のアメリカはカフェレーサーブームのような感じです。
(すべてが同じテイストでは、それはちょっと面白くないと思うのですが・・・)
そして上のW1の赤タンク時からアルミタンク時に変るまでの10年以上の間で、私の「One's exclusive hobby」に至る出会いがあります。
それが下の画像
この写真は昨年の夏にT‐PADDOCKに入って来た時のものです。
実はこのモンキー私の兄が当時に買って、そのまま所有してたのですが上述の10年の中で一度
再会しておりました。
私がその再会時に見たモンキー君は外に雨ざらしで錆まくってて「え~、なんでこうなるまで放ってたん!?」と兄を責めておりました。
そして、「持って帰って綺麗にするわ!」となり、以前住んでおりました普通の住居のガレージにてレストアの真似事が始まったわけです。
そして、そのモンキーをバラしていく内に、「あの工具が無い」「あの部品がない」など、原付ですが
スグに作業が壁に当たり、前に進まない連続でした。
それから、工具を少しづつ買い足したりして揃えていくと次はタイヤの修理やらで「エアーコンプレッサーが要るな!」とかで、最初の頃はホームセンターに行くのがけっこう楽しくなってきてました。
昔と違い、今はホームセンターや廉価な海外ツール専門店などでプロ並みの道具や工具が購入できます。それもあってレストアの真似事をしている内に「早く完成させて、エンジンをかけて走らせたい」
それが気が付かないうちに完全に”休日を過ごす私の目的と目標”と化しておりました。
正に「One's exclusive hobby」のはじまりです。
下の画像は、それから20年近く経って、再度”レストアとアレンジ”をしようと上記写真と同昨年夏
にバラしはじめたところです。
以前と違って道具も設備も揃っておりますので、悩むことは無くなりましたが・・・・
と、ここまで私の「One's exclusive hobby」に至る経緯を書いてきましたが、いつになったら「人生の道標」や「仕事の糧」を掴むヒントの話が出るのだろう・・・と思われていると思います。
私も、ここまできて「いったい何を書きたいのか!?」と、頭がコンガラガッております。
ちょっと整理してまた、次回Chapter3に繋げたいと思います。
それでは次回の「One's exclusive hobby」Chapter3で確信に迫ります。
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