お待たせしました。(・・・って、誰も待ってないか!?)
・・・独り言はさておき、今回は前回、前々回の「One's exclusive hobby」の続きで、いよいよ最終章です。
因みに今回の記事から初めてお読みいただく方は#15、#16から読んで頂けると話の内容が繋がると思います。少々長くなりますが・・・
今回は出来るだけ「One's exclusive hobby」=「唯一の趣味」がなぜ「人生の道標」や「仕事の糧」になるのか!?を私なりに起承転結に纏めたいと思いますが、たぶん無理でしょう!
さて前々回では一文で
”故障した時に問題を解決していく過程が「One's exclusive hobby」のような気がします。”
と書きました。
また前回一文でも
”・・・趣味をもっと突き詰めていったところに存在する感覚のような気がします。”
とも書きました。
これらの私の表現は非常に”情的”なものですので、そのまま、どなたにでもハマるのか!?と
疑問にも感じております。
よって、ここからは毎度のことながら、あくまで私見として書き進めますのでご了承ください。
その前にまず、バイクですがバイクでもいろんな用途が有ります。
一般的に例えれば、郵便屋さんの郵政バイク、そしてバイク便の韋駄天バイクや我々の敵?
の白バイなどなど・・・
ですが我々の趣味人のバイクは旧車、現行車を問わず”生産性”という点で数値化すれば、
ほぼ”ゼロ”に等しいと言えるでしょう!?
特に旧車は、故障も多いし、更にエンジンをかけるにしてもスッとかからないし・・・
ではなぜ、そのような役に立たない乗り物が「人生の道標」や「仕事の糧」になるのか!?
それは、生産性という視点で”物理的”に或いは”合理的”に観るのではなく、渋いと感じる
クルマのデザインも、官能的な排気音も、またバイクのドコドコ感・・・もすべて”感覚的”な視点?(人が唯一持つ五感を刺激されるという意味)であると言えることが、先ず趣味目線になっている
からだと思います。
その”感覚的”に捉える中で「故障した時に・・・」、そして自身でそれを解決できたら・・・
人はそう思うのですが・・・ところが故障は完全に”物理的”に起きた現象です。
なので、そこには逆に”ストレス”が発生するメカニズムが存在します。
ここから「人生の道標」に結びつけたいと思います。
私の場合、前回に書きましたBSAを手に入れた時は仕事が順調に推移している時で、その時の感情はBSAを所有していることに満足感を得ておりました。
ところがBSAを本気で乗ろうとした時は、けっこう手こずるし・・・で止む無くW1がメインに・・・
そのW1で旧車の集いやツーリングによく出向いておりましたが、程なくして仕事で厳しい状況に追い込まれ、ストレスを溜める時が訪れます。
そんな状態ですから、ストレスから逃れたい思いで休日に「ツーリングでもして・・・」と、その休日の朝、W1を出してエンジンを掛けようとキックを何回か踏むも・・・かからず!
「え~!なんでやねん!」 「この頑丈なW1がなんで?」
結局はツーリングには行けず、そのまま原因を見つけ修理をしなくてはならない羽目に!
で、その時の私の修理は然したる技術的な腕もなく、早く乗りたい想いから、今から思えばけっこう大雑把な作業で、けっして誉められたものとは言えません。
結局また同じところが故障し再度、修理をしなければならなくなります。
この時です。
私のところに”趣味バイクの神”が舞い降りてきました。そして『天のお告げ』が・・・
「仕事がうまくいってないからと言って、大事に扱わなくてはならないバイクをイイ加減に扱って・・・それでは、いずれ事故を起こすぞ!」
と言われたような・・・聞いたような・・・(ほんまかいなっ!?)
で、ここは一旦落ち着いて気を鎮め
バイクが思うように乗れないストレス、そのストレスの原因である仕事のストレス!
となると、仕事のストレス発散をバイクに求めたはずが、結局バイクでストレスを溜めて…となっているわけですから完全に悪循環にハマっておる事に気が付きました。
まぁ、普通の方であれば私の様に何かに”取り憑かれる”?ことにはならないと思いますが・・・
とりあえず、そんな『天のお告げ』があり、そこからが「先ず、仕事のストレスを解消しなくては!」となって・・・
(この仕事のストレス解消の話は更に長くなりますので割愛させていただきます。)
ここで「人生の道標」です。
この件で少々大袈裟な表現かもしれませんが、私にとっては間違いなく「進むべき方向」のお告げでした。
言いたいのは優先順位の話で、今その時を振り返ればレストアでも、単に修理であっても、その手順を間違うとエライ手間を食う事になるのと同様に感じました。
たったこれだけのことですが、私は「一刻も早く、いい気分でバイクに乗りたい!」
この”いい気分で”が非常に重要なポイントであって、”いい気分”になるには、それを妨げている要因を排除すればよい事なのですが・・・
要するに私の場合で言えば、単に手順が間違っていたのだと思いました。
それは仕事にストレスが発生しているのに、更に趣味でもストレスを発生させていたことです。
その本来の手順ですが、特に旧車!
まず旧車を所有して、更にその旧車を常に気持ち良く乗りたい!と考えます。
でも、「壊れたらお金もかかるので、できたら自分で治したい」と次に思う事はコストダウン!
更に次は、その手間をかける知識や時間や場所や道具や・・・などなど環境整備!
といった具合になります。
それが#15で書きました「”勇気”と”覚悟”が必要になります。」と言う意味です。
ただ、この”勇気”と”覚悟”のキャパと言いますか、設定値は人それぞれですから先ずは手の届きそうなとこから始め、徐々にレベルを上げていく方法で良いと思います。
絶対ダメなことは
仕事が安定していない時 (注意:安定度の見解は千差万別であるため自己判断による)
また趣味で仕事に影響するほどのストレスが掛かっている時などは、即座に趣味に注力することをストップするべきです。
この状態になる一歩手前にいたのが私でした。
そして「仕事の糧」ですが、先程の手順の話で言えば仕事を安定させるのも、結局はレストアや修理の手順と一緒だと思います。
それは、よくよく考えれば仕事においても、すべてにストレスになる原因があるという事です。
ただ、自然災害や経済の極度な変化、或いはテロなど本人の意に起因しないことを除いて考えれば答えを導き出すことは可能と考えます。
「え~!それはないで!」と思われる方もいらっしゃると思いますが、これは冒頭にも述べましたようにあくまで私見です。
例えば現実に故障した時、
落ち着いて原因を探り、
そしてその対処法を見つけ、
そして修理をし、
そして点検を行う。
そしてちゃんと治ったかの確認をする。
これがキチッとできた時は、ほんまに「よっしゃ~!」とひとりで雄叫びを上げてます。
この過程が”勇気”と”覚悟”から”楽しむ”に変えられた時だと思います。
そして、この”楽しむ”までの過程が仮に仕事でのトラブルであったとしてもトラブルの原因をしっかり把握し、そしてその対処する手順を間違わなければ結果は必ず「よっしゃ~!」となります。
まぁ、こういうことが私の場合「仕事の糧」となったのは間違いないかもわかりません。
ですので、ちょっと不謹慎ですが私は会社では、よく「仕事はゲームだ!」と言っておりました。
「ゲームでも直ぐゴールできるゲームは飽きるやろ?」それと同じで「手こずる仕事ほど遣り甲斐があるやろ!?」とか、けっこう無責任ともとれるような・・・
そして、その結果に対して得るモノは
仕事では”インセンティブ”
「One's exclusive hobby」=「唯一の趣味」が「人生の道標」や「仕事の糧」になる。
と、こんな感じで纏めたかったのですが、言いたかったことが伝わりましたでしょうか!?
そして、もっと大事な事は「One's exclusive hobby」を楽しめるのは「仕事も楽しんでいる」から。という事と「仕事が楽しめている」からこそ「One's exclusive hobby」になるという事だと思います。
その境地がわかれば#15で引用しました欧米の人たちの「立ち振る舞い」の
「趣味として車やバイクが如何にあるべきか!?」
「それを所有する自分と社会との関係がどうあるべきか!?」
こんな事を言える人格者になりたいものです。
私がそうなれるのには残された時間がちょっと?不足しているようにも感じます。
それではまた。
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