その始まりが、この3月なのだ
バイクの待ち遠しさは秋より、やはり春だろう
そこには冬場の寒さや凍結などで、バイクに乗れなかったストレスが溜まっている所為かも
早速、その3月の1日に月ヶ瀬に行ってきた
乗り出したバイクはW1SこのW1はFCRキャブからノーマルキャブに戻して久しいが、アイドリングが今一つだった
また、しばらく乗っていない時の始動時もキックの回数が多く、少々手こずり気味だった
そんなこともあり、せっかくの春のバイク本番に合わせ、前日にキチっとアイドリングのセッティングを、し直した
FCRのセッティングより原始的?だが基本は同じ
だがノーマルキャブで走っていたのは24,5年前
その時の状況などは綺麗に忘れている
ただ当時で覚えていることは、ノーマルキャブに問題がなかったということ
しかし24,5年前の当時「W1S用のFCRが出た」というニュースを見た
そのニュースを見た途端、すぐさま発注をし、手に入れた
ただ、その時はFCRを装着してからのセッティングに相当、時間を要したことだ
そこにはポン付けでFCRが着くと楽観していたが、なんのなんの!
完璧なセッティングに落ち着くまで相当に時間を取られたのだ
FCR発売元「BITO R&D」の現場スタッフさんと適合するFCRのニードルや各ジェット類に辿り着くまで、何度も電話で対応してもらった
当時は自身も仕事は現役バリバリだったゆえ、土日しか時間がない
その土日にFCR装着のW1を阪奈道路でテスト走行を繰返するが、テスト後にインプレッションをBITOさんに説明し、新たな部品を送ってもらう
そして次の土日に届いたパーツを取付け、また試乗をする
この展開を二度ほど続け、やっとベストマッチになった
元々のオリジナルのW1Sは最高速が185km/hとして販売されていた
ベストマッチになった当時、自身のW1はFCR装着で「W1の国内最高記録、〇〇〇km/hが出たのでは!?」と、ほくそ笑んでいた
そんな懐かしい思い出に支配されていたため、20数年後の現在はノーマルキャブの調子を戻すのに四苦八苦になったということだ
で、キチっとセッティングが合ってるかを観るため、冒頭の月ヶ瀬に乗り出したという事だ
その月ヶ瀬までの道中は中低速の速度域で走る為、FCR装着時となんら変わらない安定感は戻っていた
その証拠に月ヶ瀬お茶屋前の駐車場からの帰り際、時間が経ってからもキック一発でエンジンは始動した
そのエンジンが一発でかかった瞬間、月ヶ瀬のメンバーからも「お~!」と声が上がった
そこには昨年来、自身が乗り出したRT1でキックを10回ほど踏んでも、またW1も数回踏んでもエンジンが目覚めない事があったからだ
それ故、「お~」という声を聴くと心の内は「ドヤ顔」になっている
だが、そもそも当該W1のキャブをFCRから、なぜノーマルに変えたのか!?
それが時代のミステリーだ!
また今回の月ヶ瀬当日には、Mr.RyanがN-VANにてやってきた
遠方にてオフロード走行を楽しむ為にバイクを車載大方の人は、N-VANを知っているがMr.Ryanの乗り方(使い方)が直球で楽しそうだった
とにかくN-VANは「バイクを積むだけ用に徹した」と、いうような使い方荷室後方には・・・
また下画像は、これも「なるほど!」と思った使い方になるのか・・・
バックゲートを上げた左支柱に落書き?ではなく、イベントに出かける際「忘れ物が無いか!?」の備忘録
いわゆる「チェックリスト」だ
日本人はクルマに、あえて言うが何かを書き入れるなどは、まずやらない
ましてやマイカーともなれば、なおさらだ
それをMr.Ryanに尋ねると・・・
「忘れ物がないか、さっと確認できて便利ですよ」と言う
たしかに「なるほど!」と割り切ればその通りだ
「勉強になりました」と、お礼を・・・言わなかったが割り切りの勉強をさせてもらった
そして月ヶ瀬から戻った当日の午後には・・・
T-PADDOCK630に集合で集まったお客様ご近所の左から毎度のIshi〇さん、そしてK・Yam〇さんと大和高田のHin〇さん達
いったい何をする為に集まったのか・・・
先ず、このスクーターを見てからだ
1981年発売のSUZUKI ジェンマ50その二代目だろう
ディティールを観ていこう
超アナログなメーター廻りフロントには・・・
「Gemma(ジェンマ)」とある1980年代初頭のスクーター、ジェンマのテレビコマーシャルでは1960年代放映のマカロニウェスタンで活躍した「ジュリアーノ・ジェンマ」が起用されていた
(マカロニウェスタンとはイタリアで流行った?西部劇からそう呼ばれた造語)
そのジュリアーノ・ジェンマの「ジェンマ」にあやかって?かは不明だ
また上画像のフロントレッグシールド前方左には「Super DeluXe」のシールが貼られている
この「Super DeluXe」という表記は、そもそも1980年前後のクルマに多く見られたグレード名を表していた
他にも「エクセレント」や「ラグジュアリー」「ロイヤル〇〇〇」などなど、当時の巷のクルマでは、よく見かけた
それを原チャに使うとは、鈴木さんらしい
同様に1980年前後の名残りは・・・
それは、この辺りの時代では、たしか安全基準の影響があったとされる
「後方からの視認性を上げるため」と、やたらデカいレンズを使ったクルマはよく見た
代表格は「ブタケツ」と呼ばれた「日産ローレル」だ
しかし個人的にはバックスタイルはローレルより当該ジェンマの方が、まだ「お品」が良い様に思うのだが!
それは、ともかくスタイルが・・・
エッジも効いて秀逸だ
で、ちょっと自己満的に・・・
昭和の良き時代の雰囲気で・・・と、ガラクタを集めて無理やり「はい、チーズ!」
とにかく今の時代で見れば、このジェンマはまさに和製ベスパだ
「う~ん・・・」なんか、今ひとつ
いや!今三つなアンバランスなミスマッチだ!
で、話を戻してこの和製ベスパのジェンマが、どうしたと言うのか
先の画像のHin〇さんからIshi〇さんに・・・
という事で、しばらくジェンマ君はT-PADDOCK630で預かることになった
こうして当、T-PADDOCK630を活用してもらえるのは真ッこと嬉しい
自身がT-PADDOCK630ガレージを創ったのは、こうしたワイガヤ感覚でバイクのみならず乗り物を触りながら・・・
そんな子供じみた事なのかもしれない
また、その時代背景を懐かしむと同時に楽しむことにもある
今夜はよく眠れそうだ!
T-PADDOCK630 T/Tatsumi
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